サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

『セデック・バレ』 霧社事件という史実を描く台湾映画

 エドワード・ヤンに師事していたというウェイ・ダーションの監督作品。日本人の出演者としては、安藤政信河原さぶ木村祐一などが登場する。

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 冒頭から圧倒的なテンションで始まる。部族の狩りの場面かと思いきや、突然、部族間の戦いが始まる。勝った側は敵の首を刈るのだから普通のテンションであるはずがない。そんな部族間抗争の興奮も冷めやらぬうちに日本軍の進攻が続き、外部からの侵略者との戦いも始まる。のちに部族の頭目となるモーナ・ルダオも、圧倒的な勢力を誇る日本軍の前には屈服せざるを得ない。モーナ・ルダオは30年以上耐え抜くが、霧社事件という抗日暴動を起こす。これは台湾原住民の悲劇的な歴史を描いた映画なのだ。

 台湾映画を観る機会はそれほどないが、たとえばホウ・シャオシェンの映画なら日本はどちらかと言えば好意的に描かれていたような……。この『セデック・バレ』の日本の扱いはそれとは異なる。反日映画と簡単に決めつけることはできないが、「日本統治時代はよかった」などと言うこともできないだろう。
 第1部は「太陽旗」、第2部は「虹の橋」と題されている。それぞれ日本の国旗と、台湾原住民の考えるユートピアへの架け橋を指している。彼らは立派な戦士となることが「セデック・バレ(真の人)」となることであり、そうすれば虹の橋を渡って豊かな狩り場のある世界に行くことができると考えているのだ。
 ほとんど男ばかりの映画である。女は男が戦士になるために身を尽くす。日本軍との戦いに備えて足手まといにならないようにと、女たちと子どもたちが自死する場面があるが、これも史実のようだ。「霧社事件」とネットで検索すれば、映画に描かれたような陰惨な写真も目にすることができる。あまりにも悲惨な出来事で目を覆うばかりだが、実際に80年ほど前に台湾で起きていた事態なのだ。日本人としても知っておかなければいけない事実だろう。
 部族たちを演じるのは、映画に描かれた彼らの子孫とのこと。壮年期のモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)には凄みがあるし、青年期(ダーチン)には野生味と躍動感に溢れている。とにかく皆いい表情をしているのだ。台湾出身で母親が原住民だというビビアン・スーも出演している。
 緑のあざやかな色が映える映像。そこに血の色のような赤に近い色の桜が咲く。そんな美しい土地を舞台に戦士として散っていった台湾原住民の姿に、日本兵たちはすでに失われた武士の姿を見出す。CGがちょっと拙いのが惜しいけれど、合計4時間半以上の長尺も飽きさせない。




『恋するリベラーチェ』 マイケル・ダグラスとマット・デイモンの熱演に拍手

 『サイド・エフェクト』を最後に引退の表明したスティーブン・ソダーバーグが撮ったテレビドラマ。日本では映画館での公開となった。アメリカではエミー賞において作品賞、監督賞、主演男優賞(マイケル・ダグラス)などを受賞した。

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 リベラーチェとはアメリカに実在したピアニストにしてエンターテイナー。派手なステージ衣装はプレスリーやエルトン・ジョンにも影響を与えたのだとか。リベラーチェはゲイであり、エイズで死ぬことになるが、最後までそのことを公にはしなかった。映画の最後で彼は「何事も度が過ぎると素晴らしい」みたいなことを言って去っていく。これ以上ないほどのド派手な衣装と徹底的なエンターテインメント、私生活では何人もの若い男をはべらせてハーレムを築く、最後の言葉はリベラーチェの生き方そのものみたいだった。

 リベラーチェを演じたマイケル・ダグラスは、きらびやかなステージを華麗にこなし、一方で禿げ頭(メイクアップらしい)で脂肪のついた老体をさらす熱演ぶり。恋人であり、秘書であり、息子でもあるような、スコット・ソーソンを演じたマット・デイモンは、金髪を伸ばして妙にかわいらしく見える。
 また脇役だが久しぶりで懐かしいのがロブ・ロウ。胡散臭い整形外科医を演じているが、この人物はフェイスリフトで顔が引きつっているという設定らしい。出てきただけで異様な雰囲気で、能面のように顔の形状は変わらないのだが、微妙な眉の動きだけ感情を表している。演技というよりは顔芸だが、一見の価値あり。

 リベラーチェとソーソンの関係は、純愛というよりはどちらとも打算的だ。リベラーチェは若き金髪のアドニスを手に入れたいと思い、孤児であるソーソンは金や豊かな生活を求めるとともに父親の姿も重ねている。打算的だから一度手に入れてしまえば窮屈になるわけで、結局関係は破綻して行くことになるが、そのなかには一抹の真実もあったものとして描かれている(現実はもっとどろどろしていたようだが……)。ラストでソーソンが思い描く幻想が美しい。いかにも作り物のきらびやかな世界で、メイクと派手な衣装で着飾ったリベラーチェが天に昇っていくように思えた。
 ソダーバーグの演出は正攻法で、奇抜なところはないが、ふたりの関係をじっくりと描いていく。かつての愛人を蹴散らしてリベラーチェの愛人に納まったソーソンだが、結局は自分も同じような憂き目に遭うことになる。予想がつく展開ではあるが、追い出される側になっていくソーソンの立場はやはり切ない。


アマンダ・セイフライド主演 『ファインド・アウト』 オオカミ少女の意趣返し

 アマンダ・セイフライド主演のサスペンス映画。ほとんど独り舞台といった感じで常にアマンダが登場するものの、サービスカットは最初のカーテン越しのシャワーシーンくらい。それでも長い金髪を振り乱して走り回るアマンダの犯人探しものとして、それなりに楽しめる(あくまでもアマンダのファンであればということだが)。

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 アマンダ演じるジルは何者かに拉致監禁される。命からがら逃げ帰って警察に訴えるものの、証拠がまったくない状態で相手にされない。挙句の果てに、事件そのものが妄想だとしてジルは精神病院送りにされてしまう。ジルは妹モリーと同居することで病院から出ることができたのだが、今度はその妹が姿を消してしまう。ジルは警察に駆け込むが、結局警察はジルの言うことを信じない。ジルは自分の力でモリーを見つけ出さなければならない。

 ※ ネタバレあり

 この映画では、アメリカの森林公園内で犯人の男が少女たちを監禁して殺害していたことになっている。警察の捜索も及ばないほどの広大な公園なようだ。ちょっと日本では考えられないような気もするが……。たとえばポール・オースターの小説『ムーン・パレス』では、主人公が浮浪生活を送るセントラルパークでも、普段は人が入ってこないような場所があるように描かれていたから、もしかするとそんなこともあるのかもしれない。

 ジルは本当のことを言っても信じてもらえないことを知っているからか、妹の捜索に当たって次々に嘘を言ってのける。本当のことよりも嘘のほうがすんなりと話が通じるところがおもしろい。次第に嘘にも磨きがかかり、口を開けばなめらかに次の嘘が流れ出すようになる。
 この話は「オオカミ少年」の逆バージョンみたいなものだ。オオカミ少年の場合は、嘘ばかりついていた少年は、最後に本当のことを言うのだが村人は誰もそれを信じない(そして多分オオカミに食べられてしまう)。この『ファインド・アウト』の「オオカミ少女」は、常に本当のことを言っていたのに周囲はそれを誰も信じない。今度は少女がキレて本当のことを誰も信じないなら、嘘をついてやるとばかりに周囲に意趣返しをするのだ。ラストはなかなか小気味好い。



石井隆監督 『甘い鞭』 壇蜜の自分探しの物語

 『ヌードの夜』『死んでもいい』などの石井隆監督作品。主演にはテレビなどでも人気の壇蜜。その他の出演者は、間宮夕貴、竹中直人、中島ひろ子など。S嬢役で登場する屋敷紘子のインパクトもすごかった。

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 ある日17歳の奈緒子(間宮夕貴)は近所の男に拉致監禁される。男は奈緒子のことを陰ながら想っていて、彼女と一緒に暮らすことを夢見ていたのだ。奈緒子は男に手錠をかけられ、鎖で拘束され、鞭打たれ、レイプされる。一カ月後、隙をついて男を殺害し監禁から逃れた奈緒子だったが、家族との普通の生活は戻って来なかった。
 その後、成長した奈緒子(壇蜜)は、昼間は女医として働きながら、夜にはSMクラブでM嬢となっていた。奈緒子は監禁のときに感じた奇妙な「甘い味」を忘れることができなかったのだ。

 17歳の奈緒子を演じた間宮夕貴も頑張っている(監禁シーンばかりでかわいそうなくらいだが)が、テレビではちょっとエッチな「隣のお姉さん」的なキャラクターの壇蜜は、何もかもさらけ出して熱演している。SMシーンでの壇蜜の白い肌に浮かび上がる腫れは、どう見ても作り物ではないから、撮影も大変なものだったろうと推察される。役者というのは大変な仕事だ。
 『甘い鞭』はいつもの石井隆作品よりも、かなりきわどいシーンが多い。次第にボカシが入るのは当然な感じになってくるし、明るい光が射すなかで四つん這いになった壇蜜を後から舐め回すように撮影しているのは、もはやロマンポルノの域を越えている。監禁とSMクラブという題材からかロングショットはなく、壇蜜という対象に限りなく接近しているのは、監督が彼女に惚れこんだからなのだろうか。

 石井隆の作品とはいえ、今回は原作者が別なので毛色が違う印象もある。石井隆といえば「名美と村木」だと思うのだが、今回の映画では男はなきが如しなのだ。壇蜜=奈緒子という女はいるのだが、女の相手役となる男は登場しないのだ。監禁男や様々な変態もいるのだが、壇蜜=奈緒子と拮抗するような背景を感じさせる男は存在しないのだ。様々な男を通しての女性の自分探しの物語なのだ。だからこそ壇蜜の存在が際立つ作品とも言えるわけで、MからSへの転換で見せる表情はとてもよかったし、さらにその先の世界をも見せてくれる。きわどい壇蜜を見たいならお薦めの1本。

 黴の生えた薄暗い監禁部屋は、男が戻りたかった母親の子宮をイメージしているのだろう。その壁に出来た大きな傷跡はあからさまに女性器だったし、そこは湿り気を帯びている。そんな男の勝手な子宮回帰願望に付き合わされた壇蜜=奈緒子だが、女性にとって子宮回帰はどんな意味を持つのだろうか? 壇蜜=奈緒子とその母親(中島ひろ子)との関係は複雑そうだったが……。


園子温監督 『地獄でなぜ悪い』 悪ふざけでなぜ悪い

 仁義のために映画を撮りたいやくざと、映画を撮りたいがためにやくざの出入りに参加する映画バカ。そんなあり得ない設定のハイテンション・ムービー。
 前作『希望の国』では題材がデリケートだったからか、園子温らしさに欠けたところがあったが、今回の演出は役者たちのテンションもマックスで、荒唐無稽な展開も有無を言わせぬ強引さで乗り切ってしまっている点で園作品らしい。

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 『地獄でなぜ悪い』のクライマックスのやくざの出入りにおける滅茶苦茶さは、タランティーノの『ジャンゴ』の銃撃戦よりもはるかにスゴい血の量と悪趣味さで、もはや笑うしかない。まあ全体的にもコメディなんだけど。
 堤真一の顔芸は、彼の役者としての今後を心配してしまうほどのクオリティ。二階堂ふみに引き回される星野源は戸惑ったような表情が絶妙だが、『スタンド・バイ・ミー』のゲロシーンみたいな大噴射には爆笑した(やくざに追い回されて恐怖のあまり大噴射してしまうのだ)。
 また今回の映画では、園監督作詞・作曲の歌も聞ける。『エクステ』では大杉蓮の口ずさむキモイ歌があったが、今度は少女が歌うCM曲だ(「全力歯ぎしりレッツ・ゴー」という歌詞が耳から離れない)。その少女がキューブリックの『シャイニング』みたいな血の海を滑っていくところが本当に素晴らしい。これは二階堂ふみによっても繰り返されるのだが、今回の二階堂は胸の谷間も露に、ショートパンツ姿で暴れまわる。ちょっとエロい。

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 『地獄でなぜ悪い』は、『アメリカの夜』みたいな映画愛についての映画とも言える作品で、ブルース・リーや深作欣二へのオマージュ、ジョン・ウーみたいな銃撃戦、清順みたいな美術、最後はスプラッタ映画的惨劇と、もはやなんでもあり。「悪ふざけ」と言えばそうなのだが、自分の好きなことに徹しているのがいいし、「悪ふざけでなぜ悪い」と言っているようでもある。ラストでは主役の映画バカ長谷川博己が雨のなかを疾走していくが、初期作品でカメラを持って走り回っていた園子温監督自身の姿を思い起こさせる姿だった。





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