サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

『再会-禁じられた大人の恋』 熊切あさ美の主演作品

 ラブストーリーのシリーズ第2弾。

 主演にはそのころ噂の誰かとの破局で話題となっていた熊切あさ美

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 結婚6年目を祝ったばかりの主婦・由美子(熊切あさ美)だが、すぐ隣の家に引っ越してきたのがかつての恋人・浩司(大口兼悟)であることを知り困惑する。近所付き合いとして無視するわけにもいかない間柄となり、ふたりの間にはかつてのような感情が芽生えてくる。

 

 よくある不倫ものである。由美子の夫・幸彦(本宮泰風)には何の落ち度もないのだが、浩司と由美子はかつてダンスのパートナーであり、再びふたりでダンスを踊ることになると感情も盛り上がってしまう。ここでのダンスというのはいわゆる社交ダンスというのがちょっと古臭い感じだが、ダンスの場面となると急に照明が当たって非現実的な感覚の演出をしている。

 このシリーズだけにベッドシーンは付きものだが、主演の熊切あさ美にはさすがにちょっと控え目。胸を揉まれるところまでが限界で、あとは脇役を演じるほかの女優(荒井まどか)が見事なおっぱいを披露してくれている。

 熊切あさ美はその当時話題の人物だったから取り上げられたということなのだろうと思うのだが、とてもきれいな人だと思うのだが緊張からか妙に表情がかたいという印象なのが惜しいところだろうか。

 

『歌声にのった少年』 アラビアン・サクセス・ストーリー

 『パラダイス・ナウ』『オマールの壁』のハニ・アブ・アサドの最新作。

 実話をもとにした作品。

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 パレスチナのガザ地区に住むムハンマド・アッサーフのサクセス・ストーリー。

 ガザ地区の破壊のされ方はかなりひどい。空爆でビルも破壊され、廃墟のような状態のまま放置されている。それでもガザの人々はそのなかでも普段のような生活をしている。子供たちは音楽に夢中だし、崩れたビルを利用してパルクールみたいに飛び回っている若者たちもいる。もちろんガザ地区は防護壁に囲まれて出て行くことも難しい場所で、ムハンマド・アッサーフにしても絶望を感じていたりもする。

 ムハンマド・アッサーフは見事な声の持ち主で、ガザ地区を抜け出し「アラブ・アイドル」というオーディション番組に出演。それがアラブ世界の注目の的となり、一躍誰もが知るアイドルとなる。

 

 ムハンマド・アッサーフが国境を抜け出すときにはコーランの一節か何かを朗々と謳い上げることで国境監視員を感動させて見逃してもらう。以前に取り上げた『少女は自転車にのって』でもそうしたコンテストがあったけれど、アラブ世界ではそうした歌声の素晴らしさに対しての評価が高いようだ。だからこそムハンマド・アッサーフが人気者になったということなのかもしれない。

 事実をもとにした作品でムハンマド・アッサーフを演じているのは、役者が演じているわけだが、最後に「アラブ・アイドル」で優勝を勝ち取る瞬間に突然実際のムハンマド・アッサーフ本人が登場して主役を乗っ取ってしまうという演出はちょっとどうかと思った。しかもそれまで演じていた役者よりも、ムハンマド・アッサーフのほうが見栄えがよく見えてしまったりして妙だった。普通なら実話をもとにした作品は現実をさらに美化しようとするものだと思うのだけれど……。

 子供時代の部分はとても楽しい。男っぽくてムハンマド・アッサーフに夢を与えることになる姉は、腎不全で亡くなってしまうのだがとてもかわいらしかった。


『イット・フォローズ』 セックスしなければ死ななかった?

 低予算ながら海外では結構な評判となっていた作品。

 今年1月に劇場公開され、7月にソフトが登場したばかり。

 監督はデヴィッド・ロバート・ミッチェルで、この作品が長編2作目とのこと。

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 19歳のジェイ(マイカ・モンロー)は新しい彼氏のヒューと初めてセックスしたあとに、気がつくと車椅子に縛り付けられている。これはヒューの仕業で、ヒューは“何か”をジェイにうつしたと言う。その“何か”はジェイのことを追ってゆっくりと歩いてくる。そのときはたまたま裸の女性だったが、“何か”は何にでも姿を変えられるのだという。ヒューは“それ”が怖ければ、セックスをして誰かにうつせと忠告する。“それ”にジェイが殺されると、次のターゲットはまたヒューに戻ることになるからだ。ジェイは果たして“それ”から逃げることができるのか。

 

 ホラー映画では殺人鬼が狙われる若者たちは羽目を外している者たちから順番に殺されて行くのが定番だ。これはホラー映画なりの倫理観なのかもしれないのだけれど、この映画の場合、“それ”がセックスによって感染するということから、最初はエイズのような病いのメタファーなのかと話題になったようだ。監督は「そうしたメタファーを込めてはいない」と否定しているようだが、“それ”が何なのかをどうしても考えてしまうような謎めいた作品となっている。

 冒頭の住宅地を女の子が逃げ回るあたりはジョン・カーペンター『ハロウィン』を思わせたりもするし、カメラワークも結構凝っていて“それ”がゆっくりと迫ってくる雰囲気をよく出していたと思う。

 

 色々な人が“それ”について解釈しているわけだけれど、ぼくには“それ”が人間が決して逃げることのできない“死”なのだろうと思えた。ある女の子が呼んでいる本はドストエススキー『白痴』であり、この映画内では主人公のムイシュキンが死刑を命じられ、死ぬ直前に恩赦で救われるという場面が朗読される。この出来事はドストエフスキーが実際に体験したことであり、死の存在を強烈に意識さぜるを得ない状況で、わざわざこの場面を朗読させるのはやはり死というものがモチーフにあるのだろうと思う。

 

 それではセックスと死がどうして関係しているのか。「生と死」というコントラストからすれば、生きることは当然のごとく死につながるわけだから、セックスという行為は“生”の誕生へとつながるわけで当たり前だとも言えるかもしれない。

 しかし、こんなふうにも考えられるかもしれない(以下は『自我の起原』という本に影響されている)。生物学などの知見によれば、たとえばアメーバーのような無性生殖の場合、個体は分裂することでまったく同じふたつの個体になるわけだから、ほとんど不死のようなものだ(もちろん何らかのアクシデントで個体が死ぬ場合もあるけれど、分裂したもうひとつの個体が残っていれば問題ない)。あるいはほかの例を挙げれば、マンガ『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王。ピッコロは死ぬ直前にすべてを新ピッコロに託して生まれ変わる。ここでも個体はほとんど不死に近いと言えるかもしれない。

 しかし、人間や多くの生物もそんなことは不可能だ。なぜかと言えば、われわれ人間は有性生殖だからだ。オスとメスの遺伝子を組み合わせることで環境に対する選択肢は増え、生物種として生き残る可能性は増したのかもしれない。しかし一方で個体は必ず死に至ることになる。生物は無性生殖のときは個体はほとんど不死に近かったのに、有性生殖を選んだことで必ず死という運命を背負うことになったわけだ。


 そんな意味でもこの映画でセックスをすると死に近づくというのはわからないでもない。そんなことを何となく感じさせたりもする映画なのだ。ジェイを守ろうとする幼馴染のポール(キーア・ギルクリスト)はジェイを守るためにジェイと寝ることを望む。というか、もともといつもジェイのことばかり見ているストーカーみたいな子だったわけで、“それ”がきっかけになってジェイと寝ることができたわけで彼にとっては好都合だったのかもしれない。死を超えてでもセックスはしたいといういじましさ。ラストでジェイとポールが手をつないだ向こう側に“それ”らしきものが見えるのがやはり怖い。


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