サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

『ソレダケ/that's it』 石井岳龍の爆音ムービー

 石井聰亙改め石井岳龍監督の最新作。

 『狂い咲きサンダーロード』の系列のハイ・テンションな話で楽しめた。出演陣も意外に豪華で、日本映画の旬な人材が顔を揃えていると思う。

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 『生きてるものはいないのか』の主役だった染谷将太と、『シャニダールの花』の主役だった綾野剛が、物語のなかで対立する大黒砂真男(染谷)と謎の極悪ギャングのボス千手完(綾野)をそれぞれ演じている。染谷の役柄は髪型とか車イスに乗るところが『ストレイヤーズ・クロニクル』の役を思わせてしまうのが難点かもしれないが、綾野剛はそれほど出番は多くないけれどカッコよく決めている。そのほか渋川清彦村上淳なんかも絡んできて、なかなか騒がしい。白黒で始まった映画が次第に色を持ち始め、最後はマンガチックな対決へと向かっていく。

 吉村秀樹率いるロックバンド「ブッチャーズ」の爆音ロックが響き渡り、作品の激しいイメージを決定づけている。『生きてるものはいないのか』でもノイジーな音楽が印象的だったのだけれど、『ソレダケ/that's itの「ブッチャーズ」の爆音もクセになる。「ブッチャーズ」のボーカル吉村秀樹は亡くなってしまったらしいのだが、この作品は「ブッチャーズ」の楽曲が着想を得て作られたものだとか。

 紅一点の水野絵梨奈は元E-girlsなんだとか。アイドルみたいにかわいらしく見せようとしてないあたりは好感が持てたと思う。染谷とふたりで歩いてくる場面に育ちの悪さみたいなものすら感じられたのがよかった(もちろん役柄上のことだが)。どこか池脇千鶴っぽく見える瞬間もあり。

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『ブラック・スキャンダル』 ジョニー・デップの最新キャラ

 ジョニー・デップの最新作。いつもみたいな派手なキャラではないわけだけれど、ハゲづらというコスプレを楽しんでいるようなところもあり。本当のジョニー・デップの姿はどんなものだったのかもはやわからなくなってくる。

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 実在のジェームズ・ホワイティ・バルジャーというアイリッシュ・マフィアの一代記。

 施設で育った子供たちが長じてマフィアになり、FBIになり、政治家になる。彼らにとっては仕事よりも幼いころからの仲間への忠誠心のほうが大きい。FBIとなったコノリー(ジョエル・エドガートン)は地域にのさばるイタリアン・マフィアを潰すために、ジミー・バルジャー(ジョニー・デップ)を情報屋として利用することを提案する。そしてその代わりにジミーはFBIからお墨付きを与えられどんどん調子に乗っていく。

 なぜこの人物が映画の題材になったのかがよくわからない。あまり魅力的な人物ではないからだ。最後にジミーに対しての人物評として挙げられるのは「根っからの殺人者」というもので(「単なるの殺人者」だったかも)、かといって震えがくるほど恐ろしいキャラでもない。裏切り者は許さねえと言いつつ、自分はFBIとつるんでいることからもわかるように支離滅裂なのだ。子供には「暴力を振るうなら誰も見ていないところで」、と言いふくめていたのにジミーはどんどん大胆になり、白昼堂々と殺人を犯すようにもなる。

 いろんな顔を揃えてみましたという感じのところはおもしろかったが、それだけだったようにも思えた。ジミーの弟役のベネディクト・カンバーバッチは政治家役だけに出番は少ない。マフィアが政治家と仲がいいなんてことはさすがに描きづらいのか。とりあえずは事実をもとにしているとのことで、ドラマティックなものが感じられなかった。


キム・ギドクの最新作 『殺されたミンジュ』 ミンジュとは何者か?

 ミンジュというタイトルロールの女子高生は冒頭であっという間に殺されてしまう。ミンジュを殺した男たちは誰かに依頼されて殺したものらしい。場面は変わって、ミンジュを殺した男たちの一人(キム・ヨンミン)が迷彩服の男たちに拉致されて拷問を受けることになる。ミンジュの敵討ちなのか、謎の集団はミンジュを殺した男たちを一人ずつ拷問にかけることになる。

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 冒頭の展開が早いのはギドク風である。それから7度の拷問シーンが続いていくのだが、ギドクは「韓国の歴史のトラウマを7つのチャプターを通して描いて」いると語っている。韓国の歴史をよく知らないからわからないのだが、ミンジュという女の子の名前は「民主主義」を意味しているわけで、ギドクは韓国での民主主義のあり方を嘆いている。

 怒りが感じられる部分もあるのだけれど、初期のころの個人的な恨みというよりは社会的な問題について頭で考えましたという印象が強い。ギドクも成熟してきたのかもしれないけれど、その分激しい感情的な部分が見えずもの足りないような気もする。

 

 この作品はギドク初めての2時間超えの作品だ。その作品を10日間の撮影で仕上げているというのはすごいことだが、結構、粗が目立つ。レストランの場面では、テーブルが映されるたびにそこに置かれている料理が変化したりというミスをしている。

 撮影監督はギドク本人ということであまり凝った画面はない。『嘆きのピエタ』のときも素人っぽい撮影監督だったわけだが、それすらも面倒で自分でやってしまうということらしいのだが、そんなに予算がないのだろうかとかえって心配にもなる。

 DV男とその恋人のベッドシーンでは、キム・ヨンミンのおしりが何度もしつこく映される。昼は乱暴な男だけれど、夜はそんな男が欲しいんだろう、そんなことを言いそうなシーンだからわざとやっているのかもしれないけれど、おしり以外にもカメラを向けるところがあるだろうと思うのだが……。


『チョコリエッタ』 丸坊主の森川葵にキュンとなる

 フェリーニの名作たちにオマージュを捧げた作品。監督は『せかいのおわり』の風間志織。大島真寿美の同名小説が原作。

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 主人公の高校生知世子(森川葵)は亡くなった母親からチョコリエッタという愛称で呼ばれていた。その母親(市川実和子)はフェリーニ『道』が大好きで、自分の愛犬にジュリエッタという名前を付けていて、その犬と一緒に育てられているから知世子もチョコリエッタと呼ばれているというわけだ。

 親を亡くして「犬になりたい」と考えている少女の物語だから、結構ハードな部分がある。トラウマを抱えた少女の回復の物語なのだ。チョコリエッタは自殺願望を抱いているようで、その先輩の正岡正宗(菅田将暉)は殺人願望を抱いているという病んだふたりのひと夏の話となっている。

 原作者が映画好きなのか、監督がそうなのかは知らないけれど、映画のネタが盛り込まれている。ザンパノとジェルソミーナが旅芸人としての芸を見せるところも再現されていて、フェリーニの作品が好きな人はより楽しめるのだろうと思う。ちなみに犬のジュリエッタという名前は、『道』でジェルソミーナを演じたフェリーニの奥様でもあったジュリエッタ・マシーナから採られている。フェリーニのファンなら知っていることだろうけど。

 チョコリエッタは映画研究部という今どき流行らない部活に入っていて、実際そこはつぶれる寸前というあたりも映画が好きな人が作ったものなんだろうなと思わせる。というのもぼくも学生時代にちょっとだけそういうサークルにいたことがあるので……。犬小屋を燃やすあたりなんかは昔の自主制作の映画のそれっぽい雰囲気だった。

 結構重い話だけれど、主人公チョコリエッタを演じる森川葵がとても初々しいところがよかった。チョコリエッタは自分で丸坊主にしてしまうのだけれど、それでも森川葵の丸坊主は清々しい印象すらある。『勝手にしやがれ』ジーン・セバーグを意識している部分もあるのだろうけど、もっと子供っぽいけれどとてもかわいらしい。

 フェリーニの作品ももっと観たくなった。『フェリーニのアマルコルド』も未だ観ていないので……。

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『独裁者と小さな孫』 独裁者はなぜ踊るのか?

 『カンダハール』などのモフセン・マフマルバフ監督の最新作。

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 独裁者が支配する架空の国が舞台だ。冒頭、大統領と呼ばれる独裁者(ミシャ・ゴミアシュビリ)はその小さな孫(ダチ・オルウェラシュビリ)と一緒に街を一望する宮殿にいる。大統領が街中の電気を消せと電話で命令すると、宮殿以外の電気がすべて消え、眼下の街は真っ暗闇に包まれる。大統領は孫にも同じことをさせてその権力を示そうとするのだが、あまりに調子に乗りすぎたのか下界では革命が生じてしまう。

 マフマルバフ監督は同じくイランのキアロスタミ監督のあとに日本に紹介されたと記憶している。そんな意味ではキアロスタミのようなドキュメンタリー風な作品を撮る監督と認識されていたのだろうと思う。実際『サイクリスト』とか『カンダハール』はそういう作品だった。しかし、この作品はそうした系統とはちょっと変わっていて寓話的な作品になっている。

 革命によって大統領の座から追われた元独裁者は、逃げそびれた孫とともに宮殿を降りて下界をさまようことになる。長い髪のカツラを着け孫には女装をさせて旅芸人のふりをして逃亡する(孫の女装がとてもかわいい)。下界は地獄みたいなものだ。しかもその地獄は元独裁者が自分で作り上げたものであるわけで、元独裁者は自分の治世の酷さを思い知ったのかもしれない。最後まで大統領に返り咲くことを考えているところからすると懲りていないのかも。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

 元独裁者は最後に民衆たちにつかまることになる。これまでの冷酷な仕打ちを忘れていない民衆は元独裁者を殺そうとする。さらには単に殺すだけでは飽き足らず、孫を殺すのを見せてからとまで言い出す。かわいらしい孫の首に縄がかけられたときにはあまりにかわいそうでハラハラしてしまった。それでも一部には暴力の連鎖を止めなければならないという良識のある人間もいる。元独裁者と孫が「踊れ」と命令されたところで映画は終わる。

 

 独裁者を殺すのではなく踊らせるというところにどんな意味を込めたのだろうか。元独裁者を政治的に利用しようということだろうか。それとも暴力の連鎖を食い止めるための手段として踊りというものが選ばれたのだろうか。

 放浪の旅に出た元独裁者はギターを演奏し孫にダンスをさせる。ここで流れる音楽はあとから映像に合わせてつけられたものだと思うが、元独裁者たちが街で会うことになるギター弾きや歌手の声はリアルな音源のようだった。フラメンコギターやがなるような歌声(トム・ウェイツ風?)など、どこかロマ族の映画監督であるトニー・ガトリフの作品(『ガッジョ・ディーロ』とか)を思わせるところがあった。意図的なものなのかどうなのかはよくわからないけれど……。


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