つい先日、『さよなら渓谷』モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したことが発表された。原作者の吉田修一は映画際に招待されるような映画を望んだらしいが、さらに賞まで獲得する成果を挙げた。
 真木よう子の7年ぶりの単独主演作品。監督は『まほろ駅前多田便利軒』の大森立嗣。共演には『赤目四十八瀧心中未遂』『キャタピラー』の大西信満

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 物語はどこにでもいる普通の夫婦に見えたふたりが、実はある事件の被害者と加害者だったというところにある。なぜ加害者と被害者が夫婦のように寄り添って生きているのだろうか?
 真木よう子は、最近では『つやのよる』にも1つのエピソードの主演として登場していたが、この作品は『ベロニカは死ぬことにした』以来の単独の主演作品。『ベロニカ』ではかなり大胆なシーンにも挑戦していたが、『さよなら渓谷』でも冒頭から濡れ場が用意されている。と言っても『さよなら渓谷』での真木の露出はそれほど多くはない。
 監督の大森立嗣が真木に求めているのは、どこか無機質で何も見ていないようなあの大きな眼だからだ。渓谷近くのわびしい感じの家に住むふたりは、落ちぶれて人目を避けているように見える。それでいてふたりだけの世界は小さな幸せがあるようだ。真木よう子の眼は虚無を見つめているようでいて、過去の何かに囚われているようにも感じられる。観る人にさまざまな想像を駆り立てるような印象的な表情をしている。

 どこか甘美なところもあるふたりの生活。真木よう子なら落ちぶれた生活もありかもしれない。そんなことも思うが、映画後半に次第に過去が明らかにされていくと、そんな妄想も否定されるだろう。それは明らかになる過去は地獄のような日々だからだ。「死ねばいい」なんて想いを互いにぶつけ合った後の、愛も憎しみもごちゃごちゃになったような結び付きなのだ。ひとりは傷の深さゆえにほかに行き場所もなく、もうひとりはその許されぬ罪をつぐなうためにその関係から離れることができない。そんな複雑な関係なのだ。
 ラストに流れる椎名林檎作詞・作曲のテーマ曲も染みる。真木よう子の声はちょっとかすれて色っぽい。