主人公のジョー(シャルロット・ゲンズブール)は傷を負って行き倒れになっているところをセリグマン(ステラン・スカルスガルド)という男に助けられる。顔は青あざだらけでも会話が出来るほどには回復したジョーは、自分のことを色情狂(ニンフォマニアック)だと告白し、「理解する気があるのなら、何もかも話してあげる」と、これまでの性生活について語り始める。

 公開前の噂と、ラース・フォン・トリアー監督のこれまでの作品からしても、どんなヰタ・セクスアリスを観せるのかとちょっと怖いくらいだったのだが、意外と今回は驚くほどのものではない。というのは、主人公がそれほどイタイ感じではないからかもしれない。『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチ・クライスト』の主人公たちほど鬱々ともしていないし、狂気に陥ってもいないのだ。色情狂とは言いつつも、それをそれなりに楽しむ余裕があるのだ。
 その余裕のせいかこの映画にはユーモアの要素がある。ラース・フォン・トリアーの映画では『キングダム』以来だという気もする(詳細は忘れてしまったが、怖いなかにも妙におかしい部分があった)。聞き役のセリグマンはジョーの体験を聞きながら、自分が本などから得た知識でもって再定義していくのだ。初体験時のピストンの回数は、「フィボナッチ数」に譬えられたりする。意味はよくわからないけれど、セリグマンも調子に乗っているのだ。

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 『ニンフォマニアックVol. 1』で一番ユーモラスだったのは、第3章「H夫人」の部分。泥棒猫のジョーと寝取られ女であるH夫人、その間に板ばさみになるH氏、さらには間の悪いところに現れた別の男やH夫妻の子供たちという、かなり複雑な舞台でH夫人演じるユマ・サーマンが叫びまくって場を盛り上げる。
 しかしそんな修羅場ですらジョーにとっては痛手になるわけではない。このVol. 1の最後には不感症に陥るという展開があり、その先はVol. 2と続く。ジョーにとっての本格的な修羅場はVol. 2になるのだろうと思うから、さらに期待したい。
 ヤング・ジョーを演じたステイシー・マーティンは、ベッドシーンはもちろんのことすべてをさらけ出して色情狂を演じている。本番シーンなどでは代役が使われたりもしているようだが、18禁のレーティングだしかなり際どいシーンも当然ある。それでもイタさも感じなければ、エロさも控えめという印象だったのはどうしてだろうか?