よく読ませていただいているブログで、100点満点中のマイナス1500点というあり得ない評価を見て、怖いもの見たさの興味本位で鑑賞。

godsnotdead

 大学に入学したジョッシュは、哲学のクラスでGod is deadと宣言することを要求される。ラディソン教授によれば、ニーチェ、カミュ、ヒューム、フロイト、チョムスキー、ドーキンスなどはすべて無神論者であり、彼の授業では神を否定するという大前提を共有してから学ばなければならないということになるらしい。ジョッシュは宣言をしないならば、神の存在を証明しろと迫られる。


  物語はジョッシュの「神の存在証明」の部分と彼の周りの人たちの群像劇でもある。ラディソン教授の妻は敬虔なクリスチャンだし、大学にはイスラム教の家庭に育ったのにイエスの教えに心動かされている人もいる。一方で不信心な者もいて、そんな彼らがどうなっていくのかということが描かれていく。

 教授とジョッシュの対決の場面は長いディスカッションが続き、「神の存在証明」に関する様々な説が引用される(色々と勉強にはなるけれど、字幕だけでその議論の詳細を追うのはちょっときつい)。しかし次第にわかってくることは、ラディソン教授はもともとクリスチャンだったのに、あるきっかけで無神論者になったということだ。ラディソン教授は母親の病気の治癒を神に祈ったのに、それが果たされなかったから神を憎んでいたというわけだ。無神論者はそうした経緯を辿ることが多いらしいが、結局ジョッシュが明らかにしたのは、ラディソン教授がなぜ無神論者(あるいは反有神論者)になったかというだけで、「神の存在証明」ではなかったようだ。

  神の存在についてはよくわからない。日本に住む日本人としては、あまり気にしたこともなかったからだ。だからそれについては置くとしても、この映画の構成としては、ジョッシュがラディソン教授の授業でGod is deadと宣言することを強要されように、観客はこの映画に別の強要をされている。観客はGod is not deadと広く触れ回りましょうと強要されているのだ(Newsboysというバンドは「goodnews=福音」を唄うboysということなんだろう)。

 ジョッシュがラディソン教授を嫌な気分で見つめたように、観客はこの映画を観てしまったことに嫌な気分になるんじゃないだろうか。特定の宗教の信者ならばいいのかもしれないが、そうでない者にとってはGod is not deadという宣言を受け入れろという強要に思えるからだ。強要というのが言い過ぎだとしても、長々とした宣伝広告を見せられたようなもので到底誉められたものではない。

 特にひどいのは最後の展開。ラディソン教授を事故に遭わせて瀕死にさせ、そこへ神の思し召しとして牧師が現れ、「悔い改めるならば救われる」と脅しをかけるのだから……。