サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2013年06月

『その夜の侍』 「他愛のない話がしたい」とは?

 監督の赤堀雅秋は演劇界の人だそうだ。この映画は赤堀がかつて上映した舞台劇を映画化したもの。
 物語は妻をひき逃げされた中村(堺雅人)と、ひき逃げ犯である木島(山田孝之)を中心に進む。被害者遺族である中村は、刑期を終えて出所した加害者木島のことをこっそりとつけ回す。そして、妻の命日になったら「お前を殺して、おれも死ぬ」という殺人予告を木島に送りつける。

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 加害者である木島はできれば自分のそばには居て欲しくない人間だ。傍若無人な振舞いは常軌を逸していて、周りの人間にも理解不能。しかし、その一方で周りの寂しい人間は、どこか木島に惹かれてしまうところもあるようだ。独りでいるよりはそんな人間でも近くに居たほうがいいということだ。木島を演じる山田孝之はギラギラした目で、異質な存在感を放つ。
 被害者遺族である中村はなぜかプリンが大好きな中年で、やせているくせにプリンの食べすぎで糖尿気味。堺雅人はいつものキラキラした瞳は見せずに、分厚い眼鏡で怪しい風体の男になりきっている。いつも汗まみれで髪はあぶらっぽく、妻の死の受け容れられずほとんど精神を病んでいるみたいな状態だ。

 タイトルに“侍”とあるけれど、中村と木島の対決は、勧善懲悪的な時代劇の一騎打ちのようにすっきりとしたものになるわけではない。
 中村は木島に「他愛のない話がしたい」と語りかけるが、難しい言葉なんかで直接に心情を説明しないのがいい。他愛のない話は中村の心にうごめく“何か”を直接に示しはしない。それでも雨のなかでの泥まみれの対決のあとには“何か”が伝わってくるようにも思えた。けんかのあとでふたりがわかりあうなんてこともないし、中村が完全に吹っ切れたとも思えないけれど、犯罪被害者の遺族と加害者の関係がすっきりと整理されるわけがないのだ。
 そのすっきりしなさから「わかりにくい」という評価もあるみたいだけれど、言葉で説明できない“何か”を表現している点で素晴らしい作品だと思う。





『華麗なるギャツビー』 ちょっとかわいいディカプリオ版のギャツビー

 フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の5度目の映画化。ちなみに日本語訳もしている村上春樹は、人生で出会ったもっとも重要な本として『グレート・ギャツビー』を挙げている。そのくらいの名作だ。
 今回は3D版もあるが、2D版で鑑賞。ラストでギャツビーがプールに浮かぶ場面では、『ライフ・オブ・パイ』のような奥行きのある構図が見られるが、全体的には2Dで充分な気がする。まあ、ギャツビー邸のパーティを体感できるという点では3Dもいいのかもしれないけど。

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 今回の『華麗なるギャツビー』ディカプリオが演じるギャツビーは人間味がある。74年のレッドフォード版のギャツビーはあまりに完璧すぎて付け入る隙がない気がしたが、こちらのギャツビーには親近感が湧く。「お茶会」のシーンでは、謎多き大富豪であるギャツビーがかつての恋人を前に慌てたりして挙動不審になるのがいい。舞台設定は華麗だけれども、結局はラブ・ストーリーと言ってもいい映画なのだ。
 デイジーを演じたキャリー・マリガンもかわいらしくてよかった。『ドライヴ』などでは庶民的な印象だったが、高級ブランドのドレスもよく似合う。ただ如何せん人の良さがでてしまうのか、デイジーというキャラクターの愚かさは感じられなかった。デイジーは自分でも「女の子はかわいらしいお馬鹿さんがいい」と語っているのだ。
 キャリー・マリガンは『SHAME』では、セックス狂みたいな主役マイケル・ファスベンダーのちょっとイタイ感じの妹を演じ、意外にぽっちゃりとした裸体も披露していて、こちらのほうが馬鹿な女の子らしかった。『華麗なるギャツビー』では馬鹿というよりは、かよわい印象。

 監督バズ・ラーマン『ムーラン・ルージュ』で有名だが、この『華麗なるギャツビー』でもド派手なパーティ演出を見せてくれる。ただ文学作品の映画化だからか、それほど弾けた感はない。またラーマン流のぶっ飛んだミュージカルを観たいものだ。








『リアル~完全なる首長竜の日~』 黒沢清のホラー演出

 予告などの雰囲気では、佐藤健綾瀬はるか主演のちょっとした恋愛ものかと思いきやそうではない。意識のなかに入り込むという設定だけに、主人公の意識次第でどうにでも世界をいじることができるわけで、監督の黒沢清はそのアンリアルさをうまく使って好き勝手なホラー演出をしている。

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 その演出は怖がらせるというよりも監督の遊びにも思える。『回路』では死の世界から出てきた幽霊がとにかく恐ろしかった。ただ女性が近づいてくるだけなのだが、そこでカクンと姿勢を崩す場面が、シェクスピアの「世の中の関節が外れてしまった」なんて言葉を思わせるほどの圧倒的な瞬間を生み出していた。
 そうした映画から比べると『リアル~完全なる首長竜の日~』のホラー演出は生ぬるい。佐藤健のバックに何もない空間があって、音楽が高鳴れば、当然そこに何かが出てくると思いきやスカしてみたりするのにはかえって驚いた。一方で漫画家である主人公の描く屍体が出現する場面では、何の盛り上がりもなしに屍体が転がっていたりするのだ。メジャーっぽい作品としては、そんなに怖くしてはいけなかったということなのか。とにかく意識下の世界という自由度を利用して、黒沢清監督が好き勝手に遊んでいるようにも思える。
 後半になると、どんでん返しもあってホラー映画ではなくなっていくのだが、そうなると結構退屈とも言える。タイトルにある首長竜の秘密もそれほど驚くべきものではないし、『ジュラシック・パーク』のようなアクションも、首長竜は肉食恐竜ではなく手足がヒレのようになっているものだから、アシカなんかを思い出させて緊迫感に欠けるのだ。




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