サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2013年12月

『アフター・アース』 シャマラン作品だから一応は……

 『シックス・センス』M・ナイト・シャマランの監督作。出演にはウィル・スミスジェイデン・スミス『幸せのちから』でも共演した親子。原案はウィル・スミスなんだとか。
 『サイン』でずっこけて以来、いつも期待と不安が交じり合うシャマラン作品。最近はどちらかと言えば呆れがちなんだけれど、どうしても気になってしまう存在ではあるわけで、ようやくDVDも発売されたということで一応レンタルしてみた。

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 終わってみれば、この映画はウィル・スミスの親心ばかりが目立つ作品となってしまっていた。主役かと思っていたウィル・スミスはすぐに戦線離脱して、あとは息子を見守る立場になってしまうからだ。『エアベンダー』ほど酷くはないが、シャラマン作品という印象は薄い。さすがに自由に撮らせてもらえるほどの信頼はなくなってきたのかもしれない。

 冒頭に語られる惑星ノヴァでのエピソードはなかなか内容が濃い。しかし、ここは映画全体を圧縮して要約してしまってもいるわけで、必要だったのかは疑問だ。それでもノヴァの先住民族が送り込んだ生物兵器アーサの存在はおもしろい。アーサは人間の恐怖を識別する。だから恐怖心がない人間はアーサには見えないゴーストとなる。ここまで冒頭で明らかになってしまう。
 多分、かつてのシャマランなら、ゴースト状態の発見に至る場面をクライマックスに据えたんじゃないだろうか。様々なサインにより伏線を張り、最後に一気にそれを回収して秘密を解き明かしたヒーローが、恐怖を振り払うことで覚醒する。ゴースト状態となったヒーローは無敵だから、「恐怖は、現実には存在しない。恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。」などと独白しながら、たちまち敵を殲滅してハッピーエンドとなる。
 しかし『アフター・アース』では、なぜか最初にノヴァの場面ですべてが予告されてしまう。だから地球に着いてからのエピソードは、主役が交代しただけの焼き直しで、ウィル・スミスは息子を覚醒まで導くだけなのだ。要約ですでに知ってしまっている結末だから、全体的にひどく間延びしたものに思えた。

 宇宙船の造形にも既視感があるし、アーサは『グエムル―漢江の怪物―』の怪物に『スターシップ・トゥルーパーズ』の昆虫を合成したような代物だった。ハリウッド大作を期待すると、ちょっと肩透かしを食らうかもしれない。


『ブリングリング』 ボニーとクライドほどわかるとは言い難い

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 ソフィア・コッポラの映画は基本的に自分語りになるのだそうだ(例外は原作がある『ヴァージン・スーサイズ』)。言われてみればたしかにそうで、歴史上の人物である『マリー・アントワネット』でさえもそうだった。映画界の巨匠フランシス・フォード・コッポラの娘として根っからのセレブであるソフィアは、フランス王妃にさえ自己を投影してしまうのだ。
 その点、この『ブリングリング』では監督ソフィアの立ち位置が微妙だった。物語はセレブに憧れる少女たち(ひとりだけ少年もいる)が、ネットで情報を得て易々とセレブ邸に忍び込み、金目のものを盗んでいくというもの。実際の被害者でもあるパリス・ヒルトン邸などで撮影された場面もあり、セレブたちの生活感覚も現実離れしているが、盗む側少女たちも少しぐらいはバレないだろうというあっけらかんとした感覚で常人には理解不能。ソフィアは本来被害者であるセレブ側に位置するわけだが、被害者側に寄り添うわけではない。ほとんど遊びのような窃盗団の行動を追ってはいても、少女たちに共感しているようでもないようだ。
 だから印象としてはどっちつかずな感じに終始している。結局、少女たちがセレブ邸に盗みに入る理由も、語り部的な少年とリーダーの少女との関係にも踏み込まないまま(映画ではよくわからないが少年はゲイらしい)。窃盗団の少女たちはその後それなりに有名になったりしたようだが、エマ・ワトソン演じるニッキーのトンチンカンな言明も、解釈の仕様もないまま投げ出されるように終わっている。監督のソフィアは少女たちの理解できない部分を理解できないままに提示しているものだから、観客のこちらとしても到底理解できないままだった。

 『ウォール・フラワー』に続いて『ブリングリング』でもエマ・ワトソンが踊る。健康的な『ウォール・フラワー』に比べ、『ブリングリング』はちょっと卑猥。使用される音楽は多分最新のヒップホップの類いなんだろうと思うが、全体的には予告編ほどノリがいい感じはない。



『キャプテン・フィリップス』 生きるか死ぬかのサスペンス

 監督は『ユナイテッド93』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』ポール・グリーングラス。主役のフィリップスにはトム・ハンクス

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 グリーングラスの作品には事実をもとにした『ユナイテッド93』があるが、この作品もソマリアの海賊が起こしたシージャック事件が描かれる。冒頭にはフィリップスと妻とのやりとりや海賊側の生活の一部が描かれるが、あとは全編ほとんど海の上の出来事で押し切っている。
 グリーングラスの映画は、手持ちカメラで撮影されたドキュメンタリーのような映像が、めまぐるしくつなぎ合わされて構成される。『ユナイテッド93』ではハイジャックされた飛行機の揺れを感じさせたが、この『キャプテン・フィリップス』でも海上で波に揺られるような体験をすることになるだろう。

 見渡す限りの海なのだけれど、逃げ場がないという点では密室みたいなもので、孤立無援のなかでフィリップスの闘いが始まる。海賊との追跡劇、乗船を避けるための攻防、船室でのかくれんぼと乗組員の反逆、この映画は次々とサスペンスを打ち出してあっという間に事件に観客を巻き込んでいく。囚われたフィリップスが海賊と救命挺に移ってからは、舞台は狭い救命挺になり閉塞感はいや増しに増す。
 ここでうまかったのは、海賊たちの背景も過不足なく描いたことにより、海賊にも単なる悪党以上の親近感を抱かせたことにある。彼らも金を稼いでアメリカに渡ることを夢見る青年なのだ。フィリップスは海賊たちにひとり囚われているわけだが、その周囲はすでにアメリカ海軍が包囲している。フィリップスは当然「生きるか死ぬか」という瀬戸際だが、海賊たちも同様の瀬戸際にいるのだ。海賊がフィリップスを殺せば、彼らは躊躇なく殲滅されるからだ。フィリップスの立場から見ても、海賊たちから見ても、事態は絶体絶命で逃げ場はどこにもない。そんな凄まじい緊張を強いられる作品だ。
 劇的に救出されたフィリップスに共感してしまうのは、観客も彼と同じような絶体絶命の閉塞感を追体験していたからかもしれない。トム・ハンクスの解放されたあとの感情のゆらぎみたいな表現はさすがにオスカー俳優で、ちょっとホロリとさせる。



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