『シックス・センス』のM・ナイト・シャマランの監督作。出演にはウィル・スミスとジェイデン・スミスの『幸せのちから』でも共演した親子。原案はウィル・スミスなんだとか。
『サイン』でずっこけて以来、いつも期待と不安が交じり合うシャマラン作品。最近はどちらかと言えば呆れがちなんだけれど、どうしても気になってしまう存在ではあるわけで、ようやくDVDも発売されたということで一応レンタルしてみた。
終わってみれば、この映画はウィル・スミスの親心ばかりが目立つ作品となってしまっていた。主役かと思っていたウィル・スミスはすぐに戦線離脱して、あとは息子を見守る立場になってしまうからだ。『エアベンダー』ほど酷くはないが、シャラマン作品という印象は薄い。さすがに自由に撮らせてもらえるほどの信頼はなくなってきたのかもしれない。
冒頭に語られる惑星ノヴァでのエピソードはなかなか内容が濃い。しかし、ここは映画全体を圧縮して要約してしまってもいるわけで、必要だったのかは疑問だ。それでもノヴァの先住民族が送り込んだ生物兵器アーサの存在はおもしろい。アーサは人間の恐怖を識別する。だから恐怖心がない人間はアーサには見えないゴーストとなる。ここまで冒頭で明らかになってしまう。
多分、かつてのシャマランなら、ゴースト状態の発見に至る場面をクライマックスに据えたんじゃないだろうか。様々なサインにより伏線を張り、最後に一気にそれを回収して秘密を解き明かしたヒーローが、恐怖を振り払うことで覚醒する。ゴースト状態となったヒーローは無敵だから、「恐怖は、現実には存在しない。恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。」などと独白しながら、たちまち敵を殲滅してハッピーエンドとなる。
しかし『アフター・アース』では、なぜか最初にノヴァの場面ですべてが予告されてしまう。だから地球に着いてからのエピソードは、主役が交代しただけの焼き直しで、ウィル・スミスは息子を覚醒まで導くだけなのだ。要約ですでに知ってしまっている結末だから、全体的にひどく間延びしたものに思えた。
宇宙船の造形にも既視感があるし、アーサは『グエムル―漢江の怪物―』の怪物に『スターシップ・トゥルーパーズ』の昆虫を合成したような代物だった。ハリウッド大作を期待すると、ちょっと肩透かしを食らうかもしれない。
『サイン』でずっこけて以来、いつも期待と不安が交じり合うシャマラン作品。最近はどちらかと言えば呆れがちなんだけれど、どうしても気になってしまう存在ではあるわけで、ようやくDVDも発売されたということで一応レンタルしてみた。
終わってみれば、この映画はウィル・スミスの親心ばかりが目立つ作品となってしまっていた。主役かと思っていたウィル・スミスはすぐに戦線離脱して、あとは息子を見守る立場になってしまうからだ。『エアベンダー』ほど酷くはないが、シャラマン作品という印象は薄い。さすがに自由に撮らせてもらえるほどの信頼はなくなってきたのかもしれない。
冒頭に語られる惑星ノヴァでのエピソードはなかなか内容が濃い。しかし、ここは映画全体を圧縮して要約してしまってもいるわけで、必要だったのかは疑問だ。それでもノヴァの先住民族が送り込んだ生物兵器アーサの存在はおもしろい。アーサは人間の恐怖を識別する。だから恐怖心がない人間はアーサには見えないゴーストとなる。ここまで冒頭で明らかになってしまう。
多分、かつてのシャマランなら、ゴースト状態の発見に至る場面をクライマックスに据えたんじゃないだろうか。様々なサインにより伏線を張り、最後に一気にそれを回収して秘密を解き明かしたヒーローが、恐怖を振り払うことで覚醒する。ゴースト状態となったヒーローは無敵だから、「恐怖は、現実には存在しない。恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。」などと独白しながら、たちまち敵を殲滅してハッピーエンドとなる。
しかし『アフター・アース』では、なぜか最初にノヴァの場面ですべてが予告されてしまう。だから地球に着いてからのエピソードは、主役が交代しただけの焼き直しで、ウィル・スミスは息子を覚醒まで導くだけなのだ。要約ですでに知ってしまっている結末だから、全体的にひどく間延びしたものに思えた。
宇宙船の造形にも既視感があるし、アーサは『グエムル―漢江の怪物―』の怪物に『スターシップ・トゥルーパーズ』の昆虫を合成したような代物だった。ハリウッド大作を期待すると、ちょっと肩透かしを食らうかもしれない。
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