サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年01月

キム・ギドク 『嘆きのピエタ』 独自の世界観はいまだ健在

 ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品。色々とあって精神的に参って、しばらく劇映画から離れていたキム・ギドクの最新作。

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 主人公ガンドの仕事は借金取りだ。しかもガンドのやり方は壮絶で、金を返せない場合には債務者の手を工場の機械で潰したり、死なない程度の高さから飛び降りさせたりする。障害を負わせるほどの怪我をさせ、障害年金から金を引き出そうとするわけだ。そんなだから敵も多い人間なのだが、天涯孤独なガンドの元に母親を名乗る女性が現れる。彼女は一体何者なのか?

 監督のキム・ギドクは、インタビューで「暴力をふるう人に暴力を悪いことだと悟らせるにはどうすればいいかと考えていた」と語っていて、そうした考えがこの映画へと結びついていったわけだけれど、ギドク監督の『弓』とか『うつせみ』などもそうだったが、なかなか奇妙なところへ辿り着いたといった印象。主人公ガンドから見れば一種の改心へ向かう物語だが、一方で母親を名乗る女からするとまた別の物語が現れてくる(ここが泣かせる)。好みは激しく分かれるとは思うが、ぼくはラストでは感動させられた。
 母を名乗る女の存在で、これまでの自分の生き方を変えざるを得なくなるガンド。ふたりは題名にもあるように、哀れみを意味するピエタ像に描かれたような関係にあることになる。つまりガンドはキリストに相当するわけで、債務者から悪魔と罵られるような人物がなぜキリストに擬されるのかというのが見所だ。

 
 撮影監督は学生上がりの素人みたいな人(ライムスター宇多丸曰く)で、ところどころ奇妙なズームなどがあったりしてぎこちない部分も多い。色を極端に配した画調のなかで、母のスカートの赤だけが酷く目立つのだが、廃屋のビルから川を眺める場面では外は露出がオーバーになってほとんど白くなってしまっている。その白い世界を前にした母の血の色のような赤がとても印象的だった。もしかすると露出の計算を間違えたのかもしれないが……。
 ギドクのほかの映画と比べても説明的な部分も多く、割とわかりやすい作品と思える。だからこそヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞の獲得になったのだろう。



『ビフォア・ミッドナイト』 ジェシーとセリーヌのその後

 『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)『ビフォア・サンセット』(2004)に続く第3作目。前作からさらに9年後、出会ったときから18年を経たジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジュリー・デルピー)の姿が描かれる。前作の終りではふたりのその後を様々に推測させる形で終わったわけだけれど、今回もそれをしっかり受けての続編となる。

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※ ネタバレあり。

 今回の『ビフォア・ミッドナイト』でのふたりの関係は、ロマンスからはほど遠い。それは前作の再会のあと、ふたりは結婚しなくとも双子の娘の親というパートナーとして、9年間も生活を共にしてきたからだろう。長らく連れだった阿吽の呼吸も感じられ、毎回のことだが饒舌なおしゃべりは留まるところを知らない。ただ話題はきわめて日常的なもので、所々にはけんかの種もある。夢や希望の時代は終わって、ひどく現実的なのだ。
 そんなバカンスの長い1日が描かれるわけだが、今回はギリシャの風景をバックにふたりは語り続け、ようやくホテルに辿り着いてベッドに向かったときは、映画自体が前戯みたいなものだったのかと思った。
 そこからベッドシーンが始まるが、彼らはすでに40代で、しかも9年も連れ添っている。その歳でいまだにロマンスの魔法が続くなんてあり得ないようだ。突然の電話もあって、セリーヌのはだけた胸も、ジェシーが脱いだズボンも結局は無駄になる。電話をきっかけにして喧嘩が持ち上がってしまうからだ。ふたりの言葉の応酬はそれぞれに言い分があるのだろうし、同じ世代の人間としてはどちらにも共感できた。とりあえず今回の喧嘩は収まったけれど、この先はどうなるのか? 続編にも期待したい。

 ジェシーが書く小説のように、時間や人生、そして男と女についての様々な会話に溢れた映画だった。それにしても時の流れは早いもので、ジュリー・デルピーが胸もあらわに堂々と部屋のなかをうろつく姿にも唖然としたけれど、前作ではあれだけ細身だったのに今回はかなりぽっちゃりしていて、そこに一番驚いた。



『コンプライアンス 服従の心理』 権威者に従ってしまうことの不快さ

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 日本でも振り込め詐欺などの電話を利用した詐欺事件は多発しているが、これもアメリカで実際に起きた事件をもとにした映画だそうである。
 「ミルグラム実験」と呼ばれるものがあるそうで、「閉鎖的な環境下における、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの」(ウィキペディア)なのだそうだ。この映画では、犯人は警察という権威を借りてハンバーガーチェーン店の女店長サンドラを支配下に置く。犯人=サンドラは店員ベッキーを窃盗の容疑者に仕立て上げ、その疑惑を晴らすためという理由で、事務所内で裸にさせ身体検査まですることになる。犯人は電話1本で他人を従わせ、犯人の手下となったサンドラの婚約者は、警察の手助けという名目で女性に性的暴行を加えるに及ぶ……。

 振り込め詐欺のニュースなどを聞くと、「まさかそんなことに騙されないだろう」と傍から見ている人は思うだろう。けれども現場で事件に遭遇している人はそうではないのかもしれない。警察のためだとか、会社のためだとか、権威を振りかざして説得されると、被害者であるベッキーもそれに逆らうことに抵抗を覚えるようになってしまう。権威から指示されたことに盲目的に従ってしまう、サンドラのような存在が現実には多いというのがさらに怖いところだ。「ミルグラム実験」の結果によれば、真面目な人ほどそういった傾向があるようだ。

 そうした登場人物たちの視野狭窄を表現したのか、冒頭からところどころに挿入される無個性な壁や店内のキッチン用具などの物体を捉えたカットでは、対象が物そのものとして際立っていて不穏な雰囲気を醸し出している。それが映画内の状況説明だけに終わらない印象的なカットになっているのだ。たとえばベッキーの性的暴行を推測させるシーンのあとでは、濡れたストローの極端なアップになっているが、それがストローだと把握するにはちょっと時間がかかるほど極端に対象に接近している。あまりに対象に近づきすぎると、その物全体を把握することは難しくなる。それと同じように、この映画の登場人物たちも自分たちの状況を正確に判断することができなくなっているようなのだ。ベッキーはなぜ自分がそんな屈辱的な真似させられているのかわからないままだったんじゃないだろうか。

 スリラーのカテゴリーに分けられる『コンプライアンス 服従の心理』だが、ハラハラドキドキというよりは事件の傍観者としてはイライラ感が募り、90分の上映時間以上に長く感じられる。それはこの映画の不快さの故だと思うが、その不快さこそ、この映画が描こうとしていることなのかもしれない。




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