脚本(アンドリュー・スターン)がよくできた群像劇である。主役が誰なのかわからないようなエピソードが続く。というのも役者にあまり有名な顔がないからだ(ぼくが知らないだけかもしれないが)。スターもいないし、予算も少ないと思われるけれど、なかなか魅せる。
いたずら少年ジェイソンが音楽少年ベンと街ですれ違う。たまたま目が合ったことから、事は始まる。ジェイソンは友達と一緒にSNSを通じて、ジェシカという女性に成りすまし、ベンを騙すことに夢中になる。
ジェイソンの父親(元警官で探偵のマイク)は、ある事情で関係が崩壊しつつある夫婦から仕事の依頼を受ける。ハル夫婦はネットから個人情報を盗まれ、ほとんど一文無しになってしまったのだ。
一方、音楽少年ベンの父親リッチは弁護士として忙しい日々を送り、家族を省みない。そうしたなかでベンが自殺未遂し、リッチは息子の自殺の原因を探ろうとする。
また、そもそものこの映画の始まりには、ポルノサイトで働くカイルとそれをテレビの題材と考えるレポーターのニーナがいる(リッチはニーナの会社の顧問弁護士)。
実際にはあまり関係のないそれぞれのエピソードだ。それでもテーマが「つながり」であるということがすでに題名にも記されているためか、それほど違和感はない。ただクライマックスにそれぞれの感情の爆発を用意し、それを並行に描いて、しかもスローでもったいぶって見せるほどのものはなかったかと思う。
『クラッシュ』という映画がアカデミー賞を取るくらいだし、この映画『ディス/コネクト』もその程度にはよくできていると思う。この映画のテーマは「つながり」だが、邦題が「つながり」を意味するものと、それを否定するものを同時に表現しているように、「つながり」は様々な意味を帯びる。
いたずら少年のジェイソンはベンを騙しておもしろがっているが、同時にネットを通じジェシカという別人格としてベンと交流することを楽しくも感じている。それは父子家庭の寂しさや、父と子の関係の厳格さが原因となっている。
ネット犯罪の被害者のハル夫婦の関係も複雑だ。妻は夫がやさしくしてくれないから、ネットに話し相手を求めるのだが、経済的危機に陥り、家庭の外部に敵が定まると夫婦のつながりは回復していく。
レポーターのニーナは犯罪を告発するという目的からカイルに近づくわけだが、その関係は難しく、あまりにカイルに近づきすぎたため窮地に陥ることになる。
この映画はそうした「つながり」の難しさであったり、たとえばいじめであったり犯罪加害者に対する怒り、そうした否定的なものも「つながり」の一種(ディスコネクト)であることを示していて、親しくなるにしても関係を断ち切るにしても「つながり」ってのは厄介な代物だと切に感じさせる。
また、自殺未遂した途端にそれまで放っておいた息子を探り始める父親リッチとか、息子のために警官を辞め探偵として懸命に働く父親マイクがかえって息子を寂しがらせていたり、子供が死んでしまったことで助け合わねばならないのにかえって心が離れてしまうハル夫婦。そんな家族のつながりの厄介さも感じさせて、泣かせる映画でもあると思う。
いたずら少年ジェイソンが音楽少年ベンと街ですれ違う。たまたま目が合ったことから、事は始まる。ジェイソンは友達と一緒にSNSを通じて、ジェシカという女性に成りすまし、ベンを騙すことに夢中になる。
ジェイソンの父親(元警官で探偵のマイク)は、ある事情で関係が崩壊しつつある夫婦から仕事の依頼を受ける。ハル夫婦はネットから個人情報を盗まれ、ほとんど一文無しになってしまったのだ。
一方、音楽少年ベンの父親リッチは弁護士として忙しい日々を送り、家族を省みない。そうしたなかでベンが自殺未遂し、リッチは息子の自殺の原因を探ろうとする。
また、そもそものこの映画の始まりには、ポルノサイトで働くカイルとそれをテレビの題材と考えるレポーターのニーナがいる(リッチはニーナの会社の顧問弁護士)。
実際にはあまり関係のないそれぞれのエピソードだ。それでもテーマが「つながり」であるということがすでに題名にも記されているためか、それほど違和感はない。ただクライマックスにそれぞれの感情の爆発を用意し、それを並行に描いて、しかもスローでもったいぶって見せるほどのものはなかったかと思う。
『クラッシュ』という映画がアカデミー賞を取るくらいだし、この映画『ディス/コネクト』もその程度にはよくできていると思う。この映画のテーマは「つながり」だが、邦題が「つながり」を意味するものと、それを否定するものを同時に表現しているように、「つながり」は様々な意味を帯びる。
いたずら少年のジェイソンはベンを騙しておもしろがっているが、同時にネットを通じジェシカという別人格としてベンと交流することを楽しくも感じている。それは父子家庭の寂しさや、父と子の関係の厳格さが原因となっている。
ネット犯罪の被害者のハル夫婦の関係も複雑だ。妻は夫がやさしくしてくれないから、ネットに話し相手を求めるのだが、経済的危機に陥り、家庭の外部に敵が定まると夫婦のつながりは回復していく。
レポーターのニーナは犯罪を告発するという目的からカイルに近づくわけだが、その関係は難しく、あまりにカイルに近づきすぎたため窮地に陥ることになる。
この映画はそうした「つながり」の難しさであったり、たとえばいじめであったり犯罪加害者に対する怒り、そうした否定的なものも「つながり」の一種(ディスコネクト)であることを示していて、親しくなるにしても関係を断ち切るにしても「つながり」ってのは厄介な代物だと切に感じさせる。
また、自殺未遂した途端にそれまで放っておいた息子を探り始める父親リッチとか、息子のために警官を辞め探偵として懸命に働く父親マイクがかえって息子を寂しがらせていたり、子供が死んでしまったことで助け合わねばならないのにかえって心が離れてしまうハル夫婦。そんな家族のつながりの厄介さも感じさせて、泣かせる映画でもあると思う。
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