サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年05月

『ディス/コネクト』 「つながり」ということの厄介さについてのあれこれ

 脚本(アンドリュー・スターン)がよくできた群像劇である。主役が誰なのかわからないようなエピソードが続く。というのも役者にあまり有名な顔がないからだ(ぼくが知らないだけかもしれないが)。スターもいないし、予算も少ないと思われるけれど、なかなか魅せる。

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 いたずら少年ジェイソンが音楽少年ベンと街ですれ違う。たまたま目が合ったことから、事は始まる。ジェイソンは友達と一緒にSNSを通じて、ジェシカという女性に成りすまし、ベンを騙すことに夢中になる。
 ジェイソンの父親(元警官で探偵のマイク)は、ある事情で関係が崩壊しつつある夫婦から仕事の依頼を受ける。ハル夫婦はネットから個人情報を盗まれ、ほとんど一文無しになってしまったのだ。
 一方、音楽少年ベンの父親リッチは弁護士として忙しい日々を送り、家族を省みない。そうしたなかでベンが自殺未遂し、リッチは息子の自殺の原因を探ろうとする。
 また、そもそものこの映画の始まりには、ポルノサイトで働くカイルとそれをテレビの題材と考えるレポーターのニーナがいる(リッチはニーナの会社の顧問弁護士)。

 実際にはあまり関係のないそれぞれのエピソードだ。それでもテーマが「つながり」であるということがすでに題名にも記されているためか、それほど違和感はない。ただクライマックスにそれぞれの感情の爆発を用意し、それを並行に描いて、しかもスローでもったいぶって見せるほどのものはなかったかと思う。
 『クラッシュ』という映画がアカデミー賞を取るくらいだし、この映画『ディス/コネクト』もその程度にはよくできていると思う。この映画のテーマは「つながり」だが、邦題が「つながり」を意味するものと、それを否定するものを同時に表現しているように、「つながり」は様々な意味を帯びる。
 いたずら少年のジェイソンはベンを騙しておもしろがっているが、同時にネットを通じジェシカという別人格としてベンと交流することを楽しくも感じている。それは父子家庭の寂しさや、父と子の関係の厳格さが原因となっている。
 ネット犯罪の被害者のハル夫婦の関係も複雑だ。妻は夫がやさしくしてくれないから、ネットに話し相手を求めるのだが、経済的危機に陥り、家庭の外部に敵が定まると夫婦のつながりは回復していく。
 レポーターのニーナは犯罪を告発するという目的からカイルに近づくわけだが、その関係は難しく、あまりにカイルに近づきすぎたため窮地に陥ることになる。

 この映画はそうした「つながり」の難しさであったり、たとえばいじめであったり犯罪加害者に対する怒り、そうした否定的なものも「つながり」の一種(ディスコネクト)であることを示していて、親しくなるにしても関係を断ち切るにしても「つながり」ってのは厄介な代物だと切に感じさせる。
 また、自殺未遂した途端にそれまで放っておいた息子を探り始める父親リッチとか、息子のために警官を辞め探偵として懸命に働く父親マイクがかえって息子を寂しがらせていたり、子供が死んでしまったことで助け合わねばならないのにかえって心が離れてしまうハル夫婦。そんな家族のつながりの厄介さも感じさせて、泣かせる映画でもあると思う。




『受難』 岩佐真悠子主演のこじらせ女子の話

 修道院育ちの乙女フランチェス子はなかなかの美人なのだが、男のアレが萎えるような浮世離れしたところがあって、まったく男に相手にされない。ある日、フランチェス子が教会で祈りを捧げていると、突然彼女のアソコに人面瘡ができてしまう、という奇想天外な話。

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 妄想的な乙女にツッコミを入れるコメディだが、タイトルや主人公の名前が示すようにキリスト教的なものを背景にした映画だと思われる。原作者・姫野カオルコについては知らないのだが、この本でも直木賞の最終選考まで残ったのだそうだ。

 『ふしぎなキリスト教』によれば、キリスト教における祈りというのは、「神との不断の対話」のことなんだそうだ。しかし神が直接語りかけることはまれだから、実際には祈りは自分の内面との対話とも言えるのだろう。
 『受難』では、フランチェス子が神に祈りを捧げていると、神が語りかけてくるように人面瘡が話かけてくる。人面瘡は宿主であるフランチェス子を「おまえはダメな女だ!」などと口汚く罵りもする。女性器に宿る神(?)というのも奇妙だが、一番女性的な部分にそれが宿るのは、フランチェス子が自らの女性性みたいなものに悩んでいたからだろう。また、この人面瘡は男だから、世間の男から目線も代弁しているとも思われる。
 というわけで妄想的な乙女の姿が描かれるわけで、原作者も監督も女性となれば、女性客に向けての作品なのかとも思えるが、人面瘡の造形はグロくて可愛げがなく女性の共感を呼ぶとは思えなかった(もともと女性にとってのアソコはそんなものなのかもしれないが)。人面瘡を演じる古舘寛治のセリフ回しもあってコントのようで笑える部分もあるけれど、ふざけすぎた部分もありちょっと引いた。この映画の戦略としては、主演のグラビアアイドルが脱いだという男性目線な部分が目立つけれど、エロさというものはあまり感じられなく、どっちつかずな印象も残る。
 主演の岩佐真悠子はノーメイクでもかわいらしいし、全裸で全力疾走などがんばっていたと思う。もっとロマンチックな役柄でも見てみたいと思うが……。




『とらわれて夏』 予想外のことは何も起こらないという慎ましさ

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 原作者のジョイス・メイナードは、以前サリンジャーと同棲していた人物だとか。
 監督は『JUNO/ジュノ』『マイレージ、マイライフ』のジェイソン・ライトマン
 原題は「Labor Day」だが、邦題は懐かしの歌謡曲の歌詞から取ってきたみたいな印象。たとえば「抱きしめてジルバ♪」とか「追いかけて雪国♪」みたいな。もしかしたら冗談なのかもしれないが、映画そのものにまったく笑える要素がないのだが……。とは言え、映画そのものもほめられたものではなく、予想外のことは何も起こらないという意味では、どこかで聞いたような邦題のイメージも合っているのかもしれない。

 ある日、脱獄犯のフランク(ジョシュ・ブローリン)が母と息子だけの家に入り込む。母親のアデル(ケイト・ウィンスレット)は精神的に不安定で、離婚した父親の代わりに息子のヘンリー(ガトリン・グリフィス)が母親を支えていた。しかし、ヘンリーは母を支えるのには、まだ男として力不足なものを感じていた。突然現れたフランクは、アデルにとっての恋人として、ヘンリーにとっての父親としての役割を果たすことになる。フランクは脱獄犯だが粗暴ではなく、母子にやさしく接し、なぜか料理まで振舞うという奇妙な存在なのだ。たくさんの熟れた桃を使ってパイを作るシーンがこの映画を象徴していて、とにかく甘すぎるくらい甘いのだ。

 なぜ甘いかと言えば、『とらわれて夏』はアデルの妄想を現実化したような展開で、ほとんどその線を踏み外すことがないからだ。脱獄犯のフランクが女によって破滅に導かれたように、ヘンリーもガールフレンドに脱線をそそのかされるものの、結局は踏み止まってしまう。大体が予想通りの展開で、わかっていても泣ける部分もあるのだけれど、泣けるからいい映画というわけでもないだろう。
 『セインツ ‐約束の果て‐』もそうだったが、この映画もボニーとクライドをモチーフとしている部分がある。それでも『とらわれて夏』が破滅まで辿り着かないのは、物語そのものがアデルの妄想だからだと思う。あんなに母親想いの息子も、あんなにやさしい脱獄犯も滅多にいないはず。やっぱり甘いのだ。



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