サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年06月

『サード・パーソン』 オヤジ慰撫的な妄想

 パリ、小説を執筆中のマイケル(リーアム・ニーソン)と、愛人アンナ(オリヴィア・ワイルド)がいる。ローマ、ビジネスマンのスコット(エイドリアン・ブロディ)が、モニカ(モラン・アティアス)というロマ族の女と出会う。ニューヨーク、ジュリア(ミラ・クニス)というホテルの客室係が親権争いのいざこざにある。
 これらの3つのストーリーがつながりあってくる。

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 監督と脚本のポール・ハギスの出世作『クラッシュ』でもいくつかのストーリーが小さな街を舞台にしてつながりあう。この『サード・パーソン』もそうした趣向だ。ただ地理的には離れた場所を舞台にしているし、明確なテーマ性も感じられないのでちょっと疑問符を抱きながらの鑑賞。終わってみれば何だか腑に落ちない感じもあったのだが、色々と後になって調べてみると「なるほど、そういうことだったのか」と理解はするものの、やはり釈然としない感は残る。

 ※ 以下、ネタバレがありますのでご注意を!


 パリの話では、小説家と愛人のいい歳したカップルのラブロマンスを見せられ、何だかうんざりする。ローマではやはり女ったらしのエイドリアン・ブロディなぜか行きずりの女を助け、ベッドで互いの足を愛撫しつつ燃え上がるというラブシーンにも食傷気味。ニューヨークのエピソードでは、母親失格のミラ・クニスがただ息子に会えない辛い日々を送る。ここに何のつながりがあるかと言えば、ほとんどすべてが小説家の妄想に過ぎないというオチだった。
 「サード・パーソン」とは、「三人称」という意味だとか。小説家が自分のことを日記に「彼」として記していたのは、自分のことも三人称で考えるということで、自分も小説の登場人物と同じような存在であり、小説の登場人物は小説家の分身だということなのだろう。すべてが妄想だから、ときどき話がこんがらがって地理的関係を無視して3つのエピソードが絡み合ってきてしまう。
 すべては事故で子供を亡くしたリーアム・ニーソンのオヤジ慰撫的な妄想という……。ネタが割れたあとにも何だか釈然としない。小説家が何を書いても自由なのだが、たとえばニューヨークのエピソードなんて誰が読みたいのだろうかと素朴な疑問を抱くばかりだった。



『恋の渦』 リアルな日常=色恋とけんかと騙し合い

 映画監督・山本政志が主宰する実践映画塾「シネマ☆インパクト」の企画として製作されたインディーズ作品で、出演陣にも知った顔はないし、撮影日数もたった4日という低予算だが、立ち見も出るほどのヒット作となったとのこと。
 以前、このブログでも取り上げた『愛の渦』三浦大輔が原作(戯曲)を書き、『モテキ』大根仁が監督と脚本を担当。公開は『愛の渦』よりも『恋の渦』のほうが先で、6月4日にDVDが発売となった。

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 「ゲスで! エロくて!! DQN」とキャッチコピーにあるように、DQN(ドキュン)などと呼ばれる連中の色恋を描く室内劇。DQNの正式な意味はよく知らないけれど、街で出会ったらなるべく避けて通りたいような若者たちであることは、見た目でわかる。
 鍋パーティに勢ぞろいした9人の関係は様々で、皆が仲間というわけではない。イケテない男友達に女の子を紹介するというのがパーティの目的で、初めて会う人も多いため場はシラケ気味で、紹介する女の子がブスの上に、紹介される側のノリの悪さもあって、パーティは不首尾に終わることになる。
 その後、それぞれの部屋に戻っていった9人の姿が描かれていく。もともとは演劇として作られたこの作品。その際は舞台上を4つの区画に分けるという演出がなされたらしい。この映画では、4つの場所に散っていった9人が、それぞれの部屋で繰り広げる色恋やらけんかやら騙し合いやらが、同時進行で描かれていく。

 原作者の三浦大輔作品と比較すれば、乱交パーティを描く『愛の渦』よりも『恋の渦』のほうが日常的だし、監督大根仁の作品と比較すれば、ミュージカルのようにあり得ないハイ・テンションの『モテキ』よりも『恋の渦』のほうがリアルだ。『モテキ』の主人公はセカンド童貞という妄想的ロマンティストだったからあのテンションになるのかもしれないが、現実的にはウブすぎる。『愛の渦』に「愛」のないセックスが描かれていたように、『恋の渦』という題名だからと言って純粋な「恋」が描かれるわけでもなく、ひたすら日常的でリアルな若者の姿が描かれる。たしかに9人はゲスな奴らだけれど、多かれ少なかれ皆ゲスなところがあるわけで、その意味でとてもリアルな存在に思えた。
 4つの場所を9人が行き来しつつ、様々な条件で関係性が変化するのがおもしろい。条件とは、好き嫌いだったり、ノリの良し悪しだったり、仲間内の序列だったり、美醜というどうしようもなさだったりする。狭い部屋に9人が固まると理解不能な集団という感じが強かったが、それぞれの人物はゲスでDQNかもしれないけれど、それなりに身近な存在とも思えた。好きになれるかどうかは別問題だけれど……。



『闇のあとの光』 メキシコからの新たな才能?

 メキシコ出身のカルロス・レイガダスの脚本・監督作品。第65回カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞した。

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 冒頭のシーンが美しい。山に囲まれた高原を馬や羊が走り回り、小さな女の子が犬と一緒になってそれらを追い回している。次第に空は暗さを増し、雷鳴が轟くようになるものの、この満ち足りた雰囲気は一種の天国のようにも見える。
 こうしたシーンのあと、雷の明滅とともに場面は室内に移り変わる。誰もいない室内が映し出されてしばらくすると、扉が静かに開き赤い光とともに“何か”が入ってくる。ぼくはあまりの異様な展開に何事が起こったのかわからなかったくらいだ。予告編などもまったく観ておらずほとんど情報がなかったので、リアリティのある描写のなかに突然奇妙な赤い“何か”が闖入してきたので、とにかく驚いたのだ。

 『闇のあとの光』は、「マジック・リアリズム」などとも説明されているように、リアルなシーンと魔術的なシーンとの分け隔てがない。夢と思われる場面も、未来の出来事も、何の説明もなく登場する。おそらく赤い悪魔は息子が見た夢の再現であるのだろうし、サウナでの乱交はもしかすると母親の秘めたる願望なのかもしれないが、それについて説明を与えようとはしない。エピソードは無造作に並べられている(ように見える)。
 また、冒頭のシーンもそうだが、外の場面では画面に特殊な加工が施されていて、視野狭窄にでもなったように、中心部以外の部分がぼかされたりして、とても凝っている。だた周囲がぼやけているから、画面を観ていると眩暈を起こしそうで、ほとんど夢心地のような気分になり、眠りを誘うかもしれない。と言うか、何らかの解釈を許すような物語を見出すことができないため、次第に映画について行くのが苦痛になってくるというのが正直なところ。色々と観るべきところはある映画であるとは思うのだが……。

 それにしてもメキシコの映画界というのは、様々な才能が出てくるものだと感心する。『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロンにしても、『アモーレス・ペロス』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥもメキシコ出身で、今ではハリウッドでも活躍中だ。それからまだそれほど有名ではないだろうが、最近DVDになったマイケル・フランコ監督の『父の秘密』もとても素晴らしい作品だった。こちらは第65回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ作品で、いじめなどを扱っていて精神的にはきついかもしれないが、観るべき価値があると思う。




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