パリ、小説を執筆中のマイケル(リーアム・ニーソン)と、愛人アンナ(オリヴィア・ワイルド)がいる。ローマ、ビジネスマンのスコット(エイドリアン・ブロディ)が、モニカ(モラン・アティアス)というロマ族の女と出会う。ニューヨーク、ジュリア(ミラ・クニス)というホテルの客室係が親権争いのいざこざにある。
これらの3つのストーリーがつながりあってくる。
監督と脚本のポール・ハギスの出世作『クラッシュ』でもいくつかのストーリーが小さな街を舞台にしてつながりあう。この『サード・パーソン』もそうした趣向だ。ただ地理的には離れた場所を舞台にしているし、明確なテーマ性も感じられないのでちょっと疑問符を抱きながらの鑑賞。終わってみれば何だか腑に落ちない感じもあったのだが、色々と後になって調べてみると「なるほど、そういうことだったのか」と理解はするものの、やはり釈然としない感は残る。
※ 以下、ネタバレがありますのでご注意を!
パリの話では、小説家と愛人のいい歳したカップルのラブロマンスを見せられ、何だかうんざりする。ローマではやはり女ったらしのエイドリアン・ブロディなぜか行きずりの女を助け、ベッドで互いの足を愛撫しつつ燃え上がるというラブシーンにも食傷気味。ニューヨークのエピソードでは、母親失格のミラ・クニスがただ息子に会えない辛い日々を送る。ここに何のつながりがあるかと言えば、ほとんどすべてが小説家の妄想に過ぎないというオチだった。
「サード・パーソン」とは、「三人称」という意味だとか。小説家が自分のことを日記に「彼」として記していたのは、自分のことも三人称で考えるということで、自分も小説の登場人物と同じような存在であり、小説の登場人物は小説家の分身だということなのだろう。すべてが妄想だから、ときどき話がこんがらがって地理的関係を無視して3つのエピソードが絡み合ってきてしまう。
すべては事故で子供を亡くしたリーアム・ニーソンのオヤジ慰撫的な妄想という……。ネタが割れたあとにも何だか釈然としない。小説家が何を書いても自由なのだが、たとえばニューヨークのエピソードなんて誰が読みたいのだろうかと素朴な疑問を抱くばかりだった。
これらの3つのストーリーがつながりあってくる。
監督と脚本のポール・ハギスの出世作『クラッシュ』でもいくつかのストーリーが小さな街を舞台にしてつながりあう。この『サード・パーソン』もそうした趣向だ。ただ地理的には離れた場所を舞台にしているし、明確なテーマ性も感じられないのでちょっと疑問符を抱きながらの鑑賞。終わってみれば何だか腑に落ちない感じもあったのだが、色々と後になって調べてみると「なるほど、そういうことだったのか」と理解はするものの、やはり釈然としない感は残る。
※ 以下、ネタバレがありますのでご注意を!
パリの話では、小説家と愛人のいい歳したカップルのラブロマンスを見せられ、何だかうんざりする。ローマではやはり女ったらしのエイドリアン・ブロディなぜか行きずりの女を助け、ベッドで互いの足を愛撫しつつ燃え上がるというラブシーンにも食傷気味。ニューヨークのエピソードでは、母親失格のミラ・クニスがただ息子に会えない辛い日々を送る。ここに何のつながりがあるかと言えば、ほとんどすべてが小説家の妄想に過ぎないというオチだった。
「サード・パーソン」とは、「三人称」という意味だとか。小説家が自分のことを日記に「彼」として記していたのは、自分のことも三人称で考えるということで、自分も小説の登場人物と同じような存在であり、小説の登場人物は小説家の分身だということなのだろう。すべてが妄想だから、ときどき話がこんがらがって地理的関係を無視して3つのエピソードが絡み合ってきてしまう。
すべては事故で子供を亡くしたリーアム・ニーソンのオヤジ慰撫的な妄想という……。ネタが割れたあとにも何だか釈然としない。小説家が何を書いても自由なのだが、たとえばニューヨークのエピソードなんて誰が読みたいのだろうかと素朴な疑問を抱くばかりだった。
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