サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年07月

河瀬直美監督作品 『2つ目の窓』 あんなふうに海を泳いでみたいと羨望を抱く

 『萌の朱雀』『殯の森』河瀬直美監督の最新作。監督本人が最高傑作と自負し、カメラドール/グランプリをすでに獲得しているカンヌ映画祭にも出品されたが、残念ながらパルムドール受賞には至らず……。
 今まで自らの地元の奈良を舞台にした作品が多かった河瀬作品だが、今回は奄美大島を舞台にしており、山深い森の緑ではなく海が印象的に撮られている。最高傑作と自負するだけに今までの集大成といった感もあるこの作品。『殯の森』や『沙羅双樹』などにあったような死生観というものを奄美の自然のなかに表現している。エンターテインメントとは違うから好みは分れるだろうけれど、ぼく自身は十分に堪能した。

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 自転車でのふたり乗りというシーンは『沙羅双樹』が忘れがたい。『沙羅双樹』では奈良の古い町のなかを自転車で走り抜ける場面があり、そのなかで本当にごく自然に主人公の女の子のパンチラが撮られていて、その一瞬がとてもいいのだ(アクシデントなのか狙っているのかはよくわからないが)。
 『2つ目の窓』でも、主人公の杏子と界人は、自転車に乗って島を駆け回る。これはふたりの恋物語ではないけれど、ふたりはいつも一緒にいて、ラストではめでたく初体験を迎える。これは杏子の母親の死や冒頭に登場する刺青男の死と対照的に描かれる生というもののあり方であり、そうした男女の営みが命のつながりというものを紡いでいくということの表現なのだろう。子供が産まれ、成長して次の世代を産み、老いて死んでゆく。個人の生命は失われるかもしれないけれど、そうした命のつながりのなかに何か別のものが続いていく。そんな死生観だ。古臭い考えではあるけれど、未来永劫変らないだろう重要な事実でもある。
 ラストでは杏子と界人が青い海のなかを一糸まとわぬ姿で泳ぎ回る。水中撮影がとても素晴らしい。ちなみにこの映画はWOWOWがスポンサーになっていて、劇場公開に先駆けてWOWOWでも放映されたようだが、この重要な場面はボカシが入ってしまい興ざめだったようだ。もちろん劇場ではそんなことはないからお見逃しなく。

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 この『2つ目の窓』で界人を演じた村上虹郎は、映画のなかでも父親役を演じていた村上淳と歌手・UAの息子さんとのこと(どこか柳楽優弥くん的な雰囲気)。また、杏子を演じた吉永淳の野性味のある眼差しはとても魅力的だった。河瀬映画には『萌の朱雀』でデビューした女優・尾野真千子がいるが、彼女はカンヌ映画祭でグランプリを受賞した『殯の森』でも熱演し(ヌードもほんのちょっとある)、その後はテレビでも活躍する人気者になったが、吉永淳もそういう可能性はあるんじゃないだろうか。








『ロボコップ』リメイク版とヴァーホーヴェンの最新作『トリック』

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 『ロボコップ』(2014)は、有名なヴァーホーヴェン版のリメイク。オリジナルには及ばないけれど、なかなかおもしろかった。もともとの設定をずらしながら現代風にアレンジしているところに好感を持てた。
 たとえばオリジナル版では、機械は不完全だから人間の心を流用するためにロボコップが誕生したと記憶しているが、リメイク版では機械は完璧なものだけれど世間はそれを認めないから、宣伝効果として人間の部分を残したロボコップが必要とされている。そうした社会批判めいた部分はサミュエル・L・ジャクソンが担当していて、冒頭と末尾も独占していい味を出している。かなり右がかったテレビ司会者なのだけれど、アメリカには実際に存在しそうな感じもするから怖い。 
 それからオムニコープ社の社長をマイケル・キートンが演じていて、最高のヒーローは死んだヒーローであるとして、ロボコップを殺す側に回る悪役となっている。かつてティム・バートン版『バットマン』シリーズで、ダークヒーロー=バットマンを演じていたマイケル・キートンがそんな役回りになっているのがおもしろい。

 ポール・ヴァーホーヴェンは最近『ポール・ヴァーホーヴェン/トリック』という映画が公開されたり、いまだ現役で活躍中だ。『ロボコップ』『スターシップ・トゥルーパーズ』みたいなマンガチックなSF作品があるかと思えば、『ブラックブック』のようなリアリティのある作品もあり、なかなか多彩な人のようだ。
 最新作『トリック』は、本編は60分くらいの小品だが、その製作過程のドキュメントもプラスして1本の映画にして劇場公開されたもの。それほど毒気のある作品とも言えないのだが、登場する女優さんはみんなきれいだし、脱ぎっぷりもよくて楽しめた。





『プライズ~秘密と嘘がくれたもの~』 少女に何が起ったか

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 1970年代のアルゼンチンを舞台にした映画。荒涼とした砂浜を少女が歩いてくる冒頭から、挿入される不協和音が不穏な雰囲気を醸し出している。少女セシリアは母親とふたりきりで海辺の小屋に隠れ住んでいる。この時代のアルゼンチンは軍事政権が支配していたらしく、セシリアの父親は軍に殺され、ふたりは軍の目を避けて生活しているのだ。
 セシリアは学校での作文の授業で軍事政権に対する批判めいたことを記してしまう。母親はそのこと聞くと荷物をまとめて逃げ出そうとするが、結局は先生の自宅まで押しかけて作文を書き直させることになる。
 書き直した作文は軍を礼賛したものだったからセシリアはそれで賞(プライズ)受けることになるのだが、夫を殺された母親としては軍事政権からもらう賞など何の価値もないわけで、授賞式に出たいセシリアとそれに反対する母親の間で小競り合いが繰り返される。

 ラストはあまり説明的なものではないので詳細はよくわからないのだが、風の強い海辺でセシリアの嗚咽が響くシーンが印象に残る。母親との関係で泣いているようにも思えなくもないが、もっとひどいことをも推測させる。その前のシーンで、母親が薬らしきものを飲もうとしているようにも見えるのだが気のせいだろうか?

 少々地味で暗い映画ではあるけれど、セシリア役のパウラ・ガリネッリ・エルツォクをはじめ、子どもたちの演技がとても自然なのがよかった。子どもたちだけではしゃいでいるシーンなどは演技というよりもドキュメンタリーのように見える。セシリアに寄り添う黒い犬の名脇役ぶりも見物だった。
 それにしても政権批判をしたら殺されてしまうような国というのはちょっと恐ろしい。しかもせいぜい40年くらい前のことなのだから。この映画は女性監督パウラ・マルコヴィッチの子どものころを描いた半ば自伝的な作品らしい。ベルリン国際映画祭では、撮影と美術の2部門で銀熊賞芸術貢献賞したとのこと。日本では劇場公開はされなかったが、今月になってDVDが発売された。


『少女は自転車にのって』 自転車は飛んでいく

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 今月になってDVDが出たばかりの、非常に珍しいサウジアラビア映画。しかもこの映画はかの国で初めての女性監督(ハイファ・アル=マンスール)が撮った映画だという。イスラム圏の映画を多く観ているわけではないが、最近のアスガー・ファルハディの『別離』などのイラン映画と比較しても、サウジアラビアの社会は女性にとっては生きづらい世界と思える。
 女性は家族以外の男性と会ってはいけないとか、外に出るときは目以外のすべてを隠さねばならないとか、自動車の運転も禁止されているため仕事に行くにも運転手を雇わなければならないなど、とにかく不自由なこと極まりないのだ。

 主人公の少女ワジダはそんな因習的な世界を毛嫌いするわけではないけれど、ラジオではロックを聴くし、黒いケープの下はジーンズとコンバースという出で立ちでしたたかに生きている。欲しいもののためにミサンガを売って金を稼いだり、恋人同士の手紙のやりとりを仰せつかると双方からお駄賃を騙し取るというずる賢さも持っている。
 そんなワジダの今の夢は、仲のいい男の子と自転車で競争すること(自転車ですら女性が乗ることは一般的ではないらしい)。緑色の新品の自転車が空中を飛ぶようにワジダの前を通り過ぎていくところがとてもいい。これは車の荷台に乗せられた自転車が、目の前の壁で下の部分が遮られて飛んでいるように見えるだけなのだが、CGなど使わなくてもちょっとした工夫で幻想的に見せている。少女の憧れの存在である自転車を強く印象付けるシーンだった。
 
 イスラム教の聖典コーランは読み物というよりも朗唱するものらしく、この『少女は自転車にのって』ではワジダがコーランの暗記コンテストでその一部を朗々と謳い上げる様子が描かれている。あまり普段は聴く機会も滅多にないので興味深かった。
 ワジダを演じたワアド・ムハンマドはあまり美人さんではないのだけれど、ラストに自転車で大通りを走り抜けるあたりの笑顔は本当にかわいらしい。


『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 トム・クルーズ主演のループもの

 謎の侵略者ギタイとの戦争状態にある世界。主人公のケイジ(トム・クルーズ)は経験もないのに最前線へと送り込まれることになる。ヘタレのケイジはパワード・スーツの扱いも知らず、あっという間にギタイにやられて死ぬことになる。だが次の瞬間、ケイジは戦闘が始まる前まで時間を逆戻りしていることに気がつく。ケイジは同じ日の同じ戦闘を再び繰り返すことになる。

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 設定的にはよくある話で、『恋のデジャ・ブ』などと同じように、同じ時間を何度もループする。同じ戦闘を毎回繰り返すという無限ループから最終的に抜け出すには、ギタイを倒さなければならない。ケイジは何度も死んで、その度に少しずつ経験を重ね、次第に戦闘スキルをアップさせていく。ヘタレだったケイジは戦場の英雄のように活躍することになるだろう。
 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』でその原作を分析して指摘しているように、ゲームの体験が『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のモチーフになっている。格闘ゲームなどでは繰り返しゲームをすることで、プレーヤーのスキルはアップしていき、次第に先のステージへ進むことが可能になる。また、都合が悪くなったらリセットして始めからやり直せばいい。この映画でもケイジは何度も死に、何度もその生をリセットしている。だからこの映画での主人公の死は恐ろしく軽いものに感じられる。単なる事故死とか、「なんというアホだ」と呆れられるような死に方で笑ってしまう場面もある。
 それではさすがに生きるか死ぬかというサスペンスが消えるからか、後半ではループを抜け出すことになるが、やはり最後までゲーム感覚が抜けなかった。ゲームは繰り返しプレイすることで大概のものが攻略できるように、この映画もそのうちギタイを倒すことは明らかであり、実際にそれが達成されても何の感慨もなかった。目的達成まではそれなりに楽しませてはくれるのだけれど……。

 監督ダグ・リーマンの無限ループの処理はなかなか手際いい。本当はすべてのループが始めから繰り返されるわけだけれど、それを適度に省略しつつ問題を解決していき、次の未体験のステージへと進んでいく。ただ、ギタイの造形は『マトリックス』みたいだし、パワード・スーツは『エイリアン2』以来どこでも見かける類だし、戦闘場面はどことなく『スターシップ・トゥルーパーズ』を思わせる。全般的にどこかで見たような印象ばかりあまりオリジナリティはないような……。トム・クルーズは相変わらず元気。







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