サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年09月

『記憶探偵と鍵のかかった少女』 宣伝文句ほどの謎はないけれど楽しめる

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 記憶探偵という職業は架空のもの。記憶探偵の証言は証拠能力ではDNAよりは劣るけれど、ポリグラフ(嘘発見器)よりは信頼できるという設定。そんな記憶探偵ジョン(マーク・ストロング)がアナ(タイッサ・ファーミガ)という少女の親から依頼を受ける。絶食をしているアナに対する治療の一環として、記憶のなかから絶食の原因を探れというのだ。
 絶食の件はあっさりと解決してしまうのだが、このアナという少女は色々と問題があることがわかってくる。ジョンはアナの記憶を覗くことで、【継父からの虐待】、【教師による性的虐待】、【クラスメイトの殺人未遂事件】といった諸々の問題を発見する。継父は自殺未遂を図り他人を傷つけるアナを施設に監禁しようとし、ジョンはアナを助けるためにアナに協力することになるが……。

 他人の意識のなかに入り込むというのは『インセプション』にあったテーマだ。ただ『インセプション』の場合は夢のなかで、『記憶探偵と鍵のかかった少女』は記憶のなかになる。記憶探偵は現実を記録しているはずの記憶を探ることで、事件の真相をつかもうとする。ただアナは聡明な少女で、特別な能力があると言われているので事は単純ではない。人は耐え難い記憶があれば、それを別のものに変えてしまうことがある。記憶は嘘をつくことがあるのだ。しかし、それは精神的な抑圧によるものであるのが普通だが、アナの場合はそれを意図的に操作している。ジョンが辿るべき記憶は、アナの都合よく変えられてしまうのだから、ジョンは現実を辿るのではなく、アナによる物語を見せられているようなもの。もはや完全に手玉に取られているのだ。

 螺旋階段、時計の音、溢れる水、血とバラの赤、そんな精神分析的な表象に溢れていてなかなか盛り上がる。ただラストは思いのほか予想通りの展開で、そこがいまひとつ物足りないところだろうか。最後に登場する別の記憶探偵のシルエットは、『サイコ』の主人公の母親のシルエットに似ている(オカッパ風の髪型)。精神分析というのは記憶を探るものだし、ヒッチコックの作品には精神分析で解釈されるものも多いし、この映画もかなり意識しているのだろうと思う。
 アナを演じたタイッサ・ファーミガは『ブリングリング』に出ていた女の子。バラの花が似合う女なんてそうはいないけれど、なかなかはまっている。記憶探偵役のマーク・ストロングも渋い。


『舞妓はレディ』 日本語のミュージカルって……

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 『Shall we ダンス?』の周防正行監督の最新作。
 『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』みたいなコメディかと思って観に行ってみれば、舞妓になりたいと語っていた主人公が突然歌い出したのにまず驚く。「ああ、これはミュージカルなんだ」とわかると、そのあと言語学者(長谷川博己)と呉服屋社長(岸部一徳)の賭けが発覚し、「なるほど『マイ・フェア・レディ』のパロディか」と理解される。そのころにようやく題字が現れ、「『舞妓はレディ』ってのは、ダジャレかよ」とツッコミを入れたくもなる。
 まあそんな意味では楽しい映画なのだが、ミュージカル場面はあまりノレなかった。楽曲がよくないのかもしれないし、意外と動きのない地味さも気になった。主人公が最初に歌い出す場面は、座布団に座ったままだったし、花街はセットを組んだらしくクレーン撮影もあるのだけれど、主人公がそこで歌う場面はただ遠目でそれを見ているだけなのだ(ラストは全員が登場し、賑やかな大団円になるが)。
 また、『マイ・フェア・レディ』の「スペインの雨(The Rain in Spain)」という曲は、「The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインの雨は主に広野に降る。)」という発音の練習になっていたわけで、その言葉自体に意味はない。だから「京都の雨はたいがい盆地に降る」と替え歌にされてもピンと来なかった。そもそも知らない言語だと声も意味よりも音として聞こえるからまだ許せるものの、日本語だとどうしても意味としてしか聞こえないから違和感は甚だしかった。

 ミュージカルシーンでの唯一の例外は、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』大原櫻子が登場した部分。ここは楽曲(Moonlight)も大原櫻子の歌も素晴らしかったと思うし(一瞬、松田聖子かと思った)、チープなセットでの妻夫木聡との恋物語も良かった。
 主役の上白石萌音はやや割りを食ったかもしれないが声も素晴らしかったし、昔の「おしん」みたいな素朴なキャラクターはとてもかわいらしかった。

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『麦子さんと』 人の振り見て我が振り直せ

 『さんかく』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』などの吉田恵輔監督の作品。昨年末に劇場公開され、先月、DVDが発売された。

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 兄(松田龍平)とふたり暮らしをしている麦子(堀北真希)の家に、母親の彩子(余貴美子)が帰ってくる。彩子はふたりを捨てて家を出て行ったのだ。母親との生活が始まるわけだが、捨てられたという過去からか関係はうまく行かない。麦子は「あんたを母親だなんて思ってないから」とまで口走ってしまうが、そうこうするうちに彩子は病気で死んでしまう。そんな母親のお骨を持って地元の町に帰省すると、麦子は人気者だった彩子のように歓迎されることになる……。

 親と子の関係を描く、取り立てて驚くべきことはない映画だけれど、やはりとてもよく出来た映画だったと思う。誰も好き好んで親不孝をするわけではないのだけれど、なかなか親孝行は難しい。結局「親孝行したい時には親はなし」なんて言葉通りになってしまうことも多いのかもしれない。麦子の場合もそうで、自分の心に素直になることが出来ず、母との最後の日々を後悔とともに振り返ることになる。
 
 彩子がアイドルを目指していたという部分は、麦子自身が声優を目指していることと重なっている。麦子が素直になれない部分は、部屋に泊めてくれたミチル(麻生祐未)にダブる。ミチルは会いたいけれども子供に会えないという点で、友人だった彩子の立場と同じだ。麦子としてはミチルが彩子と重なって、自分の親不孝な態度を差し置いてミチルに酷い言葉を投げかけてしまう。そんな麦子の親不孝な部分は、旅館の馬鹿息子とも同じで、麦子は地元で母親・彩子を知る人たちと触れ合うことでその人の欠点に気づき、そのことで自らを反省する。ほかの登場人物も麦子と会うことで、自らの姿に気づくことになる。
 こんなふうに登場人物が相対化されていく感じがこの映画にもあって、それは「人の振り見て我が振り直せ」的な教訓としても役に立つかもしれない。なかなか自分の欠点に気づくことは難しいし、わかっていてもそれを直すのはもっと厄介なものだから。わかっていても何だかんだ泣かされる映画である。



『テロ、ライブ』 「無敵の人」の起こすテロ

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 主人公は元国民的アナウンサーだが、不祥事によりラジオ局に左遷されたヨンファ(ハ・ジョンウ)。ある朝、ラジオ番組のリスナー参加コーナーに脅迫めいた電話がかかる。いたずらとして取り合わなかったヨンファだが、次の瞬間、脅迫通りに近くの橋が爆破される。驚いたヨンファだが、特ダネ情報を利用してテレビの世界へと復帰を試みる。犯人と交渉して、それをテレビ番組で生中継しようとするのだ。

 カメラはラジオ局の中から一歩も出ないにも関わらず、矢継ぎ早に起こる出来事に退屈することはないだろう。脅迫、犯人の要求とその交渉、さらなる爆破、橋に取り残された人たちの救出、逃げられない状況設定など盛りだくさん。よく考えたらツッコミどころは満載だ(最後の展開はさすがにやりすぎだろう)。犯人がどうやって爆弾を仕掛けるのか、その辺の整合性はほとんど無視しているけれど、韓国社会の暗部を見せているような社会性もあってなかなか楽しめる。

 日本でも罪を犯した人物が自らのことを「無敵の人」と呼んだとして、ちょっと話題になったようだ。何が「無敵」なのかと言えば、彼のような人物は失うものが何もないから、怖いものは何もなく、何でもできるということだ。命を惜しまない自爆テロは宗教的狂信者ばかりでなく、そんな「無敵の人」の担う業になってくるのかもしれない。
 この『テロ、ライブ』の犯人の素性もそうした部分があるのではないだろうか。「持つ者」と「持たざる者」の違い。詳しくは言わないが、犯人は社会の底辺で生きる人びとから生じているのだ。一部の政府中枢に関わる富裕層は、国を守るという名目の下、自己保身ばかりに終始して、「持たざる者」を助けようともせずかえって虐げていないだろうか(犯人の要求は大統領の謝罪だ)。日本も他人事ではないという気がする。
 また「持つ者」と「持たざる者」という対照は、局長とヨンファのような世代間の差とも言えるように思えた。局長はヨンファの手柄を横取りするような場所にいて、後に続く世代は先行世代ほど景気のいい話はなく、割に合わないという感覚を抱いているのだ。こうした構図は日本でも同じであり、荒唐無稽なこの映画だが、その辺は的を射ているという気もするのだ。


園子温監督 『TOKYO TRIBE』 ハイ・テンション・バトル・ラップ・ミュージカル

 園子温の最新作。原作は井上三太のコミック。原作が描かれたのは90年代後半からということで、その前に流行っていたというチーマーみたいなものが背景にあるのだろう。
 渋谷・新宿・池袋・練馬・武蔵野といった東京の地域ごとにトライブ(族)を形成した若者たちの抗争を描く。宣伝文句では「バトル・ラップ・ミュージカル」ということで、全編というわけではないが登場人物たちがラップでのやりとりをしていく。

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 それぞれの街をセットで作りあげるという凝り方で、多分、園子温の映画のなかでは最も制作費がかかっているのではないだろうか(ただそのセットが「ナンジャタウン」とか「横浜ラーメン博物館」とかに見えてしまうのだが)。冒頭では、そうしたセットのなかをクレーン撮影でなめ回すように捉え、様々な人物が走り回り、ラップで歌う様子を長回しで見せていて、気合いが入っている感じは伝わってくる。そのテンションの高さは園映画らしいのだけれど、物語がほとんどないからハイ・テンションの維持がかえって単調な印象になっているような気もした。
 さらに言えば前作『地獄でなぜ悪い』でもそうした馬鹿騒ぎはやってしまっているから、二番煎じとも思える(ブルース・リー・ネタは今回も登場するし)。パンチラを厭わず回し蹴りを繰り出すヒロインのイメージもどこか『愛のむきだし』と被っている(ただ清野菜名はとてもかわいい)。そんな意味で、目新しさには欠けるかもしれない。
 それでも出演陣の豪華さはやはり楽しかった。でんでん演じる大司教はやっつけ仕事という感じだったけれど、大方の役者はそれぞれの役を楽しんでやっているように見えた。竹内力はもはや漫画だ。用心棒役のプロレスラー高山はあまり見せ場がなかったのが残念だけれど、大司教が送り込んだ黒人の通訳・亀吉(丞威という役者らしい)の身体能力の高さには目を瞠った。

 「バトル・ラップ・ミュージカル」という売りだが、『TOKYO TRIBE』では台詞の一部がラップとなっているというだけで、そのほかのミュージカルとそれほど違いはない。ちなみに「ラップ・バトル」というのは『8Mile』エミネムがやっていたものが本物なのだろう。『8Mile』は、音楽にのせていかに対戦相手の悪口を言うかという舌戦で、カッコよく相手を言い負かして、観客を沸かせるかが勝負になる。殴り合ったりするわけじゃないのだ。こっちは本当にカッコよかったなんて言ったら、日本のトライブたちに怒られるだろうか?



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