サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年10月

佐々木心音主演 『マリアの乳房』 鬼か菩薩か

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 主人公の真生(佐々木心音)はかつてスプーン曲げの超能力でマスコミを沸かした女。一度の失敗からいまではそういう世界から離れ、なぜか街娼みたいなことをしている。しかし、真生の超能力は本物で、彼女は人の死期をも知ることができる。一方で真生に近づく立花(大西信満)という男が現れる。真生は彼女の過去を知る芸能記者かと警戒するのだが……。

 実は、大西の妻はテレビのディレクターで、取材を受けてほしいと追い回した真生に死期を告げられたことがきっかけで自殺してしまう。真生はこのときは悪意でそう言っているのだが、その一方で真生は菩薩のように見えるときもある。死を間近に感じる男も真生が身体を許すと、それに安寧を見出したように死を受け入れるようになる。ただ、踏み留まれたかもしれない命までも安易にあの世に送ってしまうという面もある。立花は妻をそんな形では失いたくはなかったわけで、真生に「死は出発なんかじゃない。終わりなんだ。」と迫ることになる。
 真生が与える安らぎが間近の死から守ることもあれば、かえってその真っ只なかへと飛び込ませてしまうという両面があるというのはおもしろいと思うのだけれど、いまひとつ消化不良という印象も残る。監督の瀬々敬久はピンク映画の世界では名を知られた人だけに、もっと濃厚なベッドシーンなんかがあってもよかったかも……。
 霧の中の場面なんかはとてもいいのだが、カーテンのない部屋の描写はわびしい(ストーブに当たりながらペヤングを食べるシーンが特に)。真生の清貧みたいなものの表現かもしれないが、予算のなさにも感じられる。

 佐々木心音『フィギィアなあなた』ではほとんど裸ばかりだったし、『TOKYO TRIBE』でもミニスカポリス風のコスプレで最初に登場して、猥雑な作品を強烈にイメージさせる役柄を演じていた。今回は化粧っけもなく彼女の素に近いのかもしれないが、作品全体が暗いトーンなのでちょっと割を食っているような気もする。


『銀の匙 Silver Spoon』 やりたいことがないって素晴らしい

 『麦子さんと』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』などの吉田恵輔作品。吉田作品としては初めての原作もの。その原作は、アニメ化もされているという人気漫画。今年3月に劇場公開され、10月15日にDVDがリリースされた。

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 進学校で落ちこぼれた八軒勇吾(中島健人)は、やりたいことが見つからないまま、親元から離れたい一心で、全寮制の農業高校へ入学する。周りは農家の跡取りばかりで、やりたいことがない八軒はちょっと異質な存在だが、彼らと触れ合ううちに八軒も変っていく。

 農家の現状を訴える部分と、後半ではスポ根ものの王道の展開が合わさったような形で、そつがない作品だったと思う。
 牛乳は農家からの買い取り価格が1リットルで83円だとか、可愛がって育てた豚でさえも、1頭で2万5千円くらいの肉にしかならないという話は、なかなか厳しい業界を示している。借金で離農に追い込まれる同級生もいる。
 経済動物という聞き慣れない単語が出てくるが、これは経済活動の一環として飼われている動物で、そんな動物たちはどんなに頑張って生きていても、時がくれば殺されて食べられる運命にある。そうした命をいただかないと生きてはいけない人間がいるからこそなのだが、だからこそおいしく食べてやるということが大事なのかもしれない(八軒がつくったベーコンはおいしそうだった)。
 本当はどこかで誰かが動物を殺し、血を抜き、肉を切り分けているわけで、何もはじめからパック詰めされているわけじゃないのだ。普段、豚などを殺す場面を見ていない消費者としては、罪悪感もなくそうした肉をいただいているわけだけれど……。吊るされて斬られる豚のおしりが結構生々しかった。

 後半はスポ根もののようになる。文化祭での手作りのばんえい競馬は青春映画らしい盛り上がりを見せるし、それなりにメッセージ性もあって泣かせるところもある。八軒は逃げ場所として農業高校へ向かったわけだけれど、生きるためには、時には逃げることも必要だ。また、やりたいことがないということは、これから何でもやりたいことが見つけられるということでもある。人生の岐路にある若者にはぴったりの映画かもしれない。
 ただ吉田恵輔作品としてはちょっと食い足りない感じも残った。原作の存在があるからかもしれない。原作の世界に縛られると、自由度は少ないだろうから。素晴らしい脚本を書ける人だけにちょっと残念。

 ヒロイン役の広瀬アリスはコメディエンヌに成りきっていたが、マンガチックなほどにはっきりした目鼻立ちで、本当はえらい別嬪さんなんだろうと思う。そのライバル役で黒木華が珍しく(?)アホな役を演じているのもおもしろかった。吹石一恵は『トゥームレイダー』のララ・クロフト風がぴったりはまっている。


『ニンフォマニアックVol. 1』 狂気もエロも意外と控えめ

 主人公のジョー(シャルロット・ゲンズブール)は傷を負って行き倒れになっているところをセリグマン(ステラン・スカルスガルド)という男に助けられる。顔は青あざだらけでも会話が出来るほどには回復したジョーは、自分のことを色情狂(ニンフォマニアック)だと告白し、「理解する気があるのなら、何もかも話してあげる」と、これまでの性生活について語り始める。

 公開前の噂と、ラース・フォン・トリアー監督のこれまでの作品からしても、どんなヰタ・セクスアリスを観せるのかとちょっと怖いくらいだったのだが、意外と今回は驚くほどのものではない。というのは、主人公がそれほどイタイ感じではないからかもしれない。『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチ・クライスト』の主人公たちほど鬱々ともしていないし、狂気に陥ってもいないのだ。色情狂とは言いつつも、それをそれなりに楽しむ余裕があるのだ。
 その余裕のせいかこの映画にはユーモアの要素がある。ラース・フォン・トリアーの映画では『キングダム』以来だという気もする(詳細は忘れてしまったが、怖いなかにも妙におかしい部分があった)。聞き役のセリグマンはジョーの体験を聞きながら、自分が本などから得た知識でもって再定義していくのだ。初体験時のピストンの回数は、「フィボナッチ数」に譬えられたりする。意味はよくわからないけれど、セリグマンも調子に乗っているのだ。

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 『ニンフォマニアックVol. 1』で一番ユーモラスだったのは、第3章「H夫人」の部分。泥棒猫のジョーと寝取られ女であるH夫人、その間に板ばさみになるH氏、さらには間の悪いところに現れた別の男やH夫妻の子供たちという、かなり複雑な舞台でH夫人演じるユマ・サーマンが叫びまくって場を盛り上げる。
 しかしそんな修羅場ですらジョーにとっては痛手になるわけではない。このVol. 1の最後には不感症に陥るという展開があり、その先はVol. 2と続く。ジョーにとっての本格的な修羅場はVol. 2になるのだろうと思うから、さらに期待したい。
 ヤング・ジョーを演じたステイシー・マーティンは、ベッドシーンはもちろんのことすべてをさらけ出して色情狂を演じている。本番シーンなどでは代役が使われたりもしているようだが、18禁のレーティングだしかなり際どいシーンも当然ある。それでもイタさも感じなければ、エロさも控えめという印象だったのはどうしてだろうか?








『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』 戻れない一点

 タイム・トラベルものの作品で、かなり世間の評判はいいらしく、ぼくが観たときは小さな映画館は満席だった。ただ純粋なタイム・トラベルものを期待すると、ちょっと拍子抜けかもしれない。というのも、タイム・トラベルの効果がとても他愛のないものになっているからだ。
 主人公ティム(ドナルド・グリーソン)のタイム・トラベル能力は、一族の男に伝わるものという設定になっている。ティムの父親(ビル・ナイ)はその能力で何をしたかというと、ディケンズをより多く読み返すのだ(何度タイム・トラベルしても歳はとらないらしい)。これはとても優雅な話だが、能力の無駄遣いとも思える。
 そして、ティム自身はといえば、のちに奥さんになるメアリー(レイチェル・マクアダムス)との関係のためだけにその能力を使っている(妹を助けたりもするけれど)。だから結婚を決めたあたりでタイム・トラベルの出番は少なくなる。『アバウト・タイム』は、人生における失敗をやり直すといったタイム・トラベルものにありがちな目的へ向かうのではなく、人生そのものを肯定するというきわめて健全なテーマへと進んでいくのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

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 ティムはタイム・トラベル能力で状況をコントロールし、メアリーとの関係を育て、幸せな生活送っている。それでも人生には戻れない一点というのが存在している。その一点を越えて過去に戻ってしまうと、未来に大きな影響が出てしまうのだ。
 ティムは初めてメアリーに出会ったあと、友人を助けるために過去に戻ったために、ふたりの出会いという事実は消えてしまう。それでもメアリーとの再会は、自分でセッティングすることができた(個人情報を知っていたから)。それは回復可能だったわけだ。しかし、子供の誕生という一点だけは再びやり直すことができない。ある時に受胎した子供と、別の時に受胎した子供が同じ人物になるはずがないからだ。そんな意味で子供という存在――つまりそれはティムたちやほかの大人たちも同様なのだが――それはそれぞれにかけがえのないものだということを示している。ラストは何だか泣かされた。
 色々と矛盾も多いし、都合のよすぎる部分もあるが、日々の大切さを改めて感じさせるまっとうに楽しい映画だった。レイチェル・マクアダムスの笑顔はとてもかわいらしくて、幸福感に満ちたこの映画の雰囲気に合っている。



『レッド・ファミリー』 南北統一への夢を託した映画

 『嘆きのピエタ』などのキム・ギドクが脚本や製作などを担った作品。
 キム・ギドクが直接的に南北分断を描いた作品としては、これまた脚本を担当した『プンサンケ』以来2本目の作品。幸せそうな家族が、実は北朝鮮から送り込まれたスパイたちだったというお話。

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 北のスパイたちは普段は若夫婦と娘と祖父という家族を装っている。しかし一歩家のなかに入れば、妻役を演じている班長(キム・ユミ)をリーダーとしたスパイ組織だった。その隣には似たような家族構成の韓国一家がいる。北と南の二組の家族を並べて描くことで、両国の違いが見えてくる。
 スパイたちはそんな韓国家族と触れ合ううちに、北朝鮮に残してきた本当の家族を思い、家族というもののあり方を見つめ直すことになる。北から見れば資本主義に毒されている韓国の家族だが、次第にそれが自由な家族のあり方に思えるようになってくる。突っ込みどころも多い映画ではあるけれど、最後には泣かされる。

 ギドクは過去作品のアイディアをほかの作品にも流用していくが、この映画でもそんな部分が見られた。ちなみに『プンサンケ』は作品そのものが、班長たちが映画館で観る映画として登場する。『レッド・ファミリー』では、そんな『プンサンケ』で互いに銃を向け合って膠着状態になる場面とそっくりの場面も出てくるし、『アリラン』でギドクが歌ったアリランという歌も登場する。小鳥が死ぬ場面は、『プンサンケ』で南北の境界線上を軽々と越えていく鳥の姿を思い出させ、北朝鮮のスパイたちはそうした境界を越えることができずに死んでいく小鳥に自分たちの姿を重ねている。
 韓国側の家族は北のスパイ家族たちにそうとは知らずに近づいていくことになるわけだけれど、現実においてもやはり北側からの歩み寄りというのは難しいのかもしれず、韓国側が何かしらの妥協とか慈悲みたいなものが必要となる場面があるのかもしれない。この作品でギドクが描いているのは南北統一への思いである。

 スパイの娘役を演じたパク・ソヨンがとてもかわいらしかった。
 それから脇役だけれども、北朝鮮からの指令の伝達者・野ウサギを演じていた役者さんもよかった。普段は町工場みたいなところで働いている人のいいおじさんっぽいが、作戦の失敗に豹変して班長を蹴り飛ばす非情さ持ち合わせている。この野ウサギと韓国の情婦とのエピソードは、のどかな感じのふたつの家族の対比と並べると、妙に真に迫ったところがあった。



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