サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2014年12月

『メビウス』 ギドクの荒唐無稽さもここまで……

 『嘆きのピエタ』などのキム・ギドク監督の最新作。

 ただいま劇場公開中だが、セリフは一切ないため、海外版のDVDでも観ることができる。

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  家族というものは最初に性的な結びつきがないと構成されないものなのだろうが、普通それは隠されているわけで、夫と妻の最初の結びつきは過去のものみたいなフリをして家庭を営んでいくことになる。ギドクの『メビウス』という作品は、そのあたりに焦点を当てている。そして何より男のイチモツを巡ってのすったもんだが描かれている。

 そんな意味でフロイトのエディプス・コンプレックスを思わせる話ではあるし、パンフレットでは上野千鶴子がギリシャ神話に引き寄せてこの映画を論じているのだが、実際はそんなに高尚な代物でもないような……。切り取られたイチモツを追いかけて追いかけっこをしてみたり、転がっていったそれがトラックに轢かれてペシャンコになるなんてドタバタは笑うしかないし、ギドク作品にありがちな荒唐無稽な展開もこの作品は今まで以上に際立っている。だからギドクファンはおもしろがれるかもしれないけれど、一般的には呆れられそうな気もする。

  久しぶりにギドク作品の常連のチョ・ジェヒョン『鰐』『悪い男』など)が出てくるのは嬉しかった。それから妻役と愛人役の一人ニ役をこなしたイ・ウヌは印象に残った。完全にイッている妻と、冷静でかわいらしくも見えたりする愛人は、別人にしか見えなかった。どうやったらあんなに化けることができるんだろうか? 次回作は日本映画の『さよなら歌舞伎町』で、こちらも楽しみ。

『真夜中の五分前』 生き残ったのはどっち?

 行定勲監督の最新作。主演には三浦春馬と、中国のリウ・シーシー

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 時計修理工の良(三浦春馬)は中国・上海で働いている。たまたま出会ったルオラン(リウ・シーシー)という美女に心惹かれるようになるのだが、彼女には双子の妹ルーメイ(リウ・シーシーの二役)がいた。ルーメイは映画プロデューサーの婚約者ティエルン(ジョセフ・チャン)がいた。

  『スイートプールサイド』『百瀬、こっちを向いて。』に続いて、たまたま四角関係の映画ということになるわけだけれど、『真夜中の五分前』の場合、女が双子というのが特殊で、しかも途中でその片割れが亡くなってしまう。もともとほとんど見分けが付かなかったふたりだけに、生き残ったのはどちらなのかというところが後半の焦点となる。美男美女によるラブ・ストーリーなのだけれど、どうにもノレなかった。

  ルオランとルーメイは双子で見た目に変わりはないのだけれど、性格には違いがある。良が最初に出会ったルオランは、どちらかと言えば大人しく、ルーメイは自由奔放に見える。そしていたずら好きのルーメイにルオランは自分の人生を奪われたと感じている。婚約者のティエルンと出会ったのもルオランが先だったし、役者をやろうと考えたのもルオランが先だった。ルーメイは後から来てルオランの人生を奪ってしまう。

 しかし、ルーメイ側の意見ではそれは逆転する。ただ、そのルーメイは本当にルーメイなのかどうかは明らかでないという混乱ぶりで、ふたりの本来の姿はいまひとつ理解できなかったこともあり、思わせぶりでゆったりとした展開にもまったくついていけなかった。

 三浦春馬演じる良の位置づけがどうにも中途半端に見えたのは気のせいだろうか。恐らく生き残ったのはルオランなんだと思うのだけれど、そのルオランがルーメイになりすますことで自分の人生を取り戻したのだとしたら、単に良は振り回されただけということになるのだから。

 それから「5分遅れた時計」というものの意味合いもピンと来なかった。しかもその罰で自分だけ生き残ったなどとのたまう良は、またルーメイに5分遅れの時計を贈るというのはどういう意味なんだろうか。縁起が悪そうだけれど。

 原作とは異なる日本と中国との合作になっているようだ。出会いのきっかけとなる「時計を贈る」という行為は、中国では、その発音が死を連想させ、プレゼントに時計は贈らないのだとか。

『百瀬、こっちを向いて。』 叶った恋も叶わなかった恋も

 原作は中田永一で、これは『夏と花火と私の死体』などの乙一が別名義で書いたものとのこと。監督は耶雲哉治。

 タイトルロール=百瀬役の早見あかりは元アイドル(ももいろクローバー)だそうで、ポスターの横顔もフォトジェニックな彼女の魅力を示してあまりある。ぼくはこの映画に関してほとんど情報はなかったけれど、このポスターに惹かれてレンタルしてみた。

 

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 語り手の相原ノボル(向井理)は作家となり、講演会のために地元へと帰ってくる。そこで子供を連れた女性・神林(中村優子)と偶然出会い、かつての想い出話をすることになる。高校時代、相原は神林の彼氏である宮崎瞬(工藤阿須加)の浮気を隠すために、フェイクとして浮気相手の百瀬と付き合うフリをしていたのだった。

  付き合うフリをすることになる百瀬と相原だが、相原は次第に百瀬を本当に好きになってしまう。ここでも『スイートプールサイド』ではないが、複雑な四角関係が構築されている。百瀬が好きなのは宮崎先輩で、宮崎先輩は神林と付き合っている。しかし宮崎が本当に好きなのは百瀬ということも明らかになる。

 この四角関係では神林というお嬢様が、恋愛の対象からは外れている。それでも宮崎が神林と付き合うのは、彼女の家柄という打算があるからだ(神林自体は別に嫌な女の子というわけではない)。宮崎は親の失敗を自分で取り戻すほう(=社会的成功)を優先し、自らの恋心はあきらめるのだ。

  『百瀬、こっちを向いて。』が、なぜ相原と神林の対話がきっかけとなって進んでいくのかと言えば、最後に神林が宮崎の嘘を知っていたかどうかが明らかになるからだ。もちろん、神林は宮崎の打算を知っていて、それでも好きだから結婚したのだ。

 原作小説は女性に大人気だったらしい。その理由は、この神林の気持ちに女性が惹かれるからだろうか? 相手が自分を好いていてはくれなくても、自分が愛する人と一緒にいたい。そんな気持ちを女性は持っているのだろうか?

 百瀬役の早見あかりは、見た目とは違う鼻づまりの声とサドっ気あるキャラクターは意外性があってよかった。ただ、百瀬と相原との別れの場面は、題名として使われるほどの決定的な場面とはならず、神林のエピソードに食われてしまったようにも思えた。最後のすれ違いの部分は、『第三の男』アリダ・ヴァリをイメージしているのだろうが、あの名作映画に比するほどのインパクトはなかった気がする。

『スイートプールサイド』 劣等感ばかりの青春、だけど楽しい

 毛の生えない男の子と、毛深くて悩んでいる女の子という、なかなか微妙な部分にスポットを当てた作品。原作は『惡の華』などの押見修造の漫画で、『アフロ田中』などの松居大悟が監督。結構なキワモノなのかと思って観てみたのだが青春映画としておもしろかった。

 毛のない男の子・太田には『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの須賀健太。相手役の毛深い女の子・後藤には『シャニダールの花』『中学生円山』の刈谷友衣子

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 誰にでも劣等感のようなものはあって、後藤は女の子なのに毛深いのが悩みで、しかも水泳部だから切実な問題だ。そんなこと打ち明けられるのは、やはり劣等感を抱えている人ということで、高校生なのに未だにアソコに毛が生えない太田が選ばれることになる。太田としても、同じ水泳部でそれなりにかわいい顔をしている後藤にそんなことを頼まれたら断れるはずもない。ふたりは橋の下でこっそり剃毛するという秘密を共有することになる。

 太田はそんな秘部をさらけ出されたものだから、後藤に夢中になり、後藤の毛を剃ることに変態チックな興奮を覚えるようになる。そこに割って入るのが太田に気がある積極的な女の子・坂下(荒井萌)で、ふたりを邪魔して太田を振り向かせようとする。一方で後藤は水泳部の先輩(落合モトキ)のほうに気があってという、なかなか複雑な四角関係を形成することになる。

  「自分の好きな子がほかの誰かを好き」といった構図は、青春にはありがちな黄金パターンだし、それらを演じる若い俳優陣も初々しくてとてもいい。後藤役の刈谷友衣子の水着姿にはそそられるし、片想いの坂下役の荒井萌も元気印でとてもかわいい。そしてうぶな男子高校生から変態へ、最後は狂気のように騒ぎまわる須賀健太はなかなかはまっていたと思う。

 エンディングのモーモールルギャバンというバンドの曲がカッコイイ。

『神は死んだのか』 神の存在証明ではなく単なる勧誘でした

 よく読ませていただいているブログで、100点満点中のマイナス1500点というあり得ない評価を見て、怖いもの見たさの興味本位で鑑賞。

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 大学に入学したジョッシュは、哲学のクラスでGod is deadと宣言することを要求される。ラディソン教授によれば、ニーチェ、カミュ、ヒューム、フロイト、チョムスキー、ドーキンスなどはすべて無神論者であり、彼の授業では神を否定するという大前提を共有してから学ばなければならないということになるらしい。ジョッシュは宣言をしないならば、神の存在を証明しろと迫られる。


  物語はジョッシュの「神の存在証明」の部分と彼の周りの人たちの群像劇でもある。ラディソン教授の妻は敬虔なクリスチャンだし、大学にはイスラム教の家庭に育ったのにイエスの教えに心動かされている人もいる。一方で不信心な者もいて、そんな彼らがどうなっていくのかということが描かれていく。

 教授とジョッシュの対決の場面は長いディスカッションが続き、「神の存在証明」に関する様々な説が引用される(色々と勉強にはなるけれど、字幕だけでその議論の詳細を追うのはちょっときつい)。しかし次第にわかってくることは、ラディソン教授はもともとクリスチャンだったのに、あるきっかけで無神論者になったということだ。ラディソン教授は母親の病気の治癒を神に祈ったのに、それが果たされなかったから神を憎んでいたというわけだ。無神論者はそうした経緯を辿ることが多いらしいが、結局ジョッシュが明らかにしたのは、ラディソン教授がなぜ無神論者(あるいは反有神論者)になったかというだけで、「神の存在証明」ではなかったようだ。

  神の存在についてはよくわからない。日本に住む日本人としては、あまり気にしたこともなかったからだ。だからそれについては置くとしても、この映画の構成としては、ジョッシュがラディソン教授の授業でGod is deadと宣言することを強要されように、観客はこの映画に別の強要をされている。観客はGod is not deadと広く触れ回りましょうと強要されているのだ(Newsboysというバンドは「goodnews=福音」を唄うboysということなんだろう)。

 ジョッシュがラディソン教授を嫌な気分で見つめたように、観客はこの映画を観てしまったことに嫌な気分になるんじゃないだろうか。特定の宗教の信者ならばいいのかもしれないが、そうでない者にとってはGod is not deadという宣言を受け入れろという強要に思えるからだ。強要というのが言い過ぎだとしても、長々とした宣伝広告を見せられたようなもので到底誉められたものではない。

 特にひどいのは最後の展開。ラディソン教授を事故に遭わせて瀕死にさせ、そこへ神の思し召しとして牧師が現れ、「悔い改めるならば救われる」と脅しをかけるのだから……。

 

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