サイの角のように 独りよがり映画論

映画について自分勝手な感想の備忘録。ネタバレもあり。 ほかのブログから引っ越してきました。

2015年04月

『セッション』 音楽+スポ根=すごい楽しい

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 音楽映画というのは楽しい。『セッション』はあまり馴染みのないジャズを扱った作品だけれども、やはり音楽の力には人の心を高揚させるものがあるようで、ジャズをまったく知らない人でも問題なく楽しめる。しかもこの作品は音楽に加えて、スポ根ものみたいな要素も付け加わっている。主人公を指導するフレッチャー教授は言ってみれば『巨人の星』の星一徹みたいなもので、主人公をいじめ抜くわけだが、主人公もそれに負けじと対応してどんどんすごいことになっていくのだ。最後の対決には本当に釘付けになるし痛快でもあった。

 ちなみにこの作品はヤフーのトップページにも取り上げられるほど一部では話題になっている。ジャズを実際にやっている関係者からそのリアリティに難癖が付けられたからで、それに対して映画評論家の町山智浩が反論したとして盛り上がっているのだ。実際にジャズをやっている人から見れば、それはあり得ないと思うようなことはあるかもしれないけれど、一般的な映画ファンからすればそんなことは気にならないわけで、ヤフーの映画コーナーでも高い評価を獲得している。ぼくも久しぶりに映画館で興奮したという気がする。

 主人公ニーマンのドラムをフレッチャーが「もっと速く」と煽る場面があるが、ここでは実際にニーマンを演じたマイルズ・テラーの手から血が流れ出したとのこと。主人公のあこがれであるバディ・リッチの映像を見ると、たしかにそんなこともあるだろうと思える。バディ・リッチのドラムは素人が見てもすさまじい(玄人が見ても精確無比なんだとか)。


 さすがに映画はここまでアンビリーバブルとはいかないけれど、とにかく高揚感はハンパないことは確かだと思う。硬派なジャズファンでもなければ、観て損はない映画だと思う。この作品のフレッチャー役でアカデミー賞の助演男優賞を獲得したJK・シモンズの熱演も見所。彼の煽りがこの映画に熱を帯びさせているからだ。

『やさしい女』 ドミニク・サンダの最後の笑みの意味は?

 原作はドストエフスキーの中篇「やさしい女」。原題のロシア語は「クロートカヤ」という言葉であり、「おとなしい女」といった意味に訳されることもあるという。

 監督はロベール・ブレッソン。この作品は1969年のブレッソン初のカラー作品。タイトルロールには当時16歳のドミニク・サンダ

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 冒頭でひとりの女がマンションから飛び降りる(飛び降りたあとのベランダの描写が素晴らしかった)。妻の自殺を知った夫は、その遺体を部屋のベッドに横たえ、彼女とのこれまでの彼女との想い出を振り返る。質屋を営む男のもとに、まだ16歳の女が粗末な質草を持って現れ、男が金銭的な力をちらつかせて結婚することに同意させるものの、夫婦仲は冷え切ったものへと変わっていく……。

 

 死んで横たわる女について男が語るという構図は、同じドストエフスキー原作で黒澤明が映画化した『白痴』のような部分も感じられる。『白痴』は森雅之と三船敏郎が死んだ女を前にして語り合っていたが、『やさしい女』では男がお手伝いさんを相手に独り言のように語り続ける。

 ブレッソンという監督は様々な映画監督がリスペクトする人物であり、この映画の評価もとても高い。タルコフスキーはこの映画が公開されたとき、「私たちは皆シンプリシティーをめざしている。まじめな芸術家は誰もがシンプリシティーをめざし、それを発見するに至る人は数少ない。ブレッソンはそのひとりです。」と評価していたそうだ。

 たしかに無駄な部分はどこにもないという気もする。ドミニク・サンダが演じる女は真っ直ぐ射抜くような瞳で男を見つめる。新婚当初の描写では笑い声を立てるシーンなどもあるのだが、そうした場面でも彼女の笑顔は決して見せない。最後に自殺をする直前にだけ、彼女は鏡に向かって一瞬だけ微笑む。そうした演出の計画もシンプルだけれども力強いような気もする。ただシンプルというだけでもないとは思うけれど……。

 

 上映後のトークショーでは山内マリコという作家の方が、この作品を「暗黒結婚映画」というジャンルにカテゴライズしていた。『ブルーバレンタイン』『レボリューショナリー・ロード』『ゴーン・ガール』みたいな作品ジャンルのことだ。女性としては旦那の妻に対する理解のなさが許せなかったらしい。おもしろい視点だとも思うものの、この作品の語り手はあくまで妻を喪った男のほうであり、結婚の暗黒面を描くつもりってわけでもないような気もするが、ほかにこの作品をうまく説明する言葉が見つかったわけでもないのだが……。


『ジュピター』 どこかで見たようなダメな作品

 『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー姉弟の監督作品。オリジナル脚本としては『マトリックス』以来とのこと。

 

 都会での掃除ばかりの生活にうんざりしていたジュピター(ミラ・クニス)だが、実は宇宙を支配する王族の王女さまで、次々と刺客から狙われる破目になるものの、狼と人の混血というケイン(チャニング・テイタム)に助けられ、大宇宙を巻き込んだ闘いに巻き込まれることになる。

 ジュピターがなぜ狙われるのかと言えば、宇宙の支配者である3兄弟の母親とまったく同じ遺伝子を持って生まれてきたからとのこと。遺伝子の組み合わせが無限のものでない限り、まったくあり得ないことではないわけで、そんな輪廻転生もありかという点ではおもしろい。

 ただ、平凡な女の子が実は王女さまだったなんて話はどこかで聞いたことがあるはずだし、CGを駆使したのであろう絵面もどこかで見たことのあるようなものばかりだったようにも思えた。

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※ 以下、ネタバレもあり。


 ネタをばらさなかったところで『ジュピター』のダメさが隠されるわけでもないからさらっと言ってしまうと、地球は人間よりも知能の高い異星人たちによって植民された星だったという設定である。恐竜が栄えていたころに地球にやってきて、恐竜を滅ぼしその代わりに人間を産み出した(どこか『プロメテウス』の筋に似ている)。そして彼らの目的は、永遠の命を得るために人間の命を収穫することだった。

 設定はつまらなくはないが、脚本の出来はかなりいい加減。人間を産み出したという異星人3兄弟はさほど魅力的でもないし(アカデミー賞主演男優賞のエディ・レッドメインも)、長女は年増女として登場して、永遠の水によって若返るというためだけに存在しているようなキャラだった。『クラウド・アトラス』でも重要な役を演じていたペ・ドゥナも途中で消えてしまうし、話が進めば進むほど物語に興味を失っていく感じだった。

 突然現れた「白馬の王子様」ならぬ「空飛ぶブーツのボディーガード」に恋してしまうジュピターの描き方も、女ごころの機微を掬い取っているとは思えなかった。ラナ・ウォシャウスキーは女性になったらしいけれど……。『バウンド』のほうがよっぽどエロくてカッコイイ女を描いていたことを思うと、女性になれば女性を描けるというものでもないのかもしれない。

 空飛ぶブーツで摩天楼を飛び回るアクションは悪くはないが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』の空飛ぶスケートボードと『スパイダーマン』を合わせた印象で、新味はなかった。しかも最後の脱出シーンは妙に滑稽だった。

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