原作は小池真理子の同名小説。

 監督の岸善幸はテレビマンユニオンで演出家、テレビプロデューサーをやっていた人物で今回が初の映画作品。

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 大学院の哲学科で修士論文を書こうとしている珠(門脇麦)は、インタビューや調査票などの手法で実存哲学をやろうと模索するのだが、教授(リリー・フランキー)にはそれは心理学や社会学の手法であって哲学ではないと諭される。困り果てる珠に教授は「理由なき尾行」をやってみないかと提案する。

 ルールは簡単で、ある人物を尾行して素行を調査していくのだが、対象となる人物とは決して接触してはならない。珠は恋人の卓也(菅田将暉)と住む家のベランダから見かけた石坂(長谷川博己)を街で偶然見かけ、興味を持って尾行を始める。石坂は妻と娘を持ち幸せな家庭生活を営んでいるのだが、その裏では不倫相手がいて、石坂を尾行していた珠は石坂が不倫相手と昼日中にビルの谷間でまぐわう様子を見てしまう。

 

 主役の門脇麦『愛の渦』という作品でかなりきわどい役柄を演じて話題になった。今回の珠という主人公は卓也という恋人がいながらも、哲学的関心からか石坂の尾行にのめりこみ、石坂のドロドロな不倫劇に巻き込まれることになってしまう。今回の門脇麦は露出はちょっとだけだが、素人探偵めいた尾行の様子が何とも可愛らしい。あれにハンチングでも被らせればマンガの素人探偵そっくりになっただろうと思う。

 ただ無理やり哲学的な深さを感じさせようとしているが難点だろうか。平穏な生活だけの人はいなくて、人は誰でも秘密を持っている。そんな秘密を共有する尾行という行為は実存哲学の残された可能性なのかもしれない。そんなことを珠は論文に書くわけで、リリー・フランキー演じる教授の存在も何らかの深さを出そうとしているようなのだが、いまひとつピンとこない。

 人のことを尾行してその秘密を知るという行為はそれだけでスケベ心をくすぐるものがあるのだから、哲学なんて持ち出さなくてもよかったんじゃないかという気がする。石坂を覗く珠も誰かに見られていることを意識するのだが、そうした全ては観客に見られているわけで、一番覗きが好きなのは観客であるわれわれなのだから。