原作はドストエフスキーの中篇「やさしい女」。原題のロシア語は「クロートカヤ」という言葉であり、「おとなしい女」といった意味に訳されることもあるという。

 監督はロベール・ブレッソン。この作品は1969年のブレッソン初のカラー作品。タイトルロールには当時16歳のドミニク・サンダ

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 冒頭でひとりの女がマンションから飛び降りる(飛び降りたあとのベランダの描写が素晴らしかった)。妻の自殺を知った夫は、その遺体を部屋のベッドに横たえ、彼女とのこれまでの彼女との想い出を振り返る。質屋を営む男のもとに、まだ16歳の女が粗末な質草を持って現れ、男が金銭的な力をちらつかせて結婚することに同意させるものの、夫婦仲は冷え切ったものへと変わっていく……。

 

 死んで横たわる女について男が語るという構図は、同じドストエフスキー原作で黒澤明が映画化した『白痴』のような部分も感じられる。『白痴』は森雅之と三船敏郎が死んだ女を前にして語り合っていたが、『やさしい女』では男がお手伝いさんを相手に独り言のように語り続ける。

 ブレッソンという監督は様々な映画監督がリスペクトする人物であり、この映画の評価もとても高い。タルコフスキーはこの映画が公開されたとき、「私たちは皆シンプリシティーをめざしている。まじめな芸術家は誰もがシンプリシティーをめざし、それを発見するに至る人は数少ない。ブレッソンはそのひとりです。」と評価していたそうだ。

 たしかに無駄な部分はどこにもないという気もする。ドミニク・サンダが演じる女は真っ直ぐ射抜くような瞳で男を見つめる。新婚当初の描写では笑い声を立てるシーンなどもあるのだが、そうした場面でも彼女の笑顔は決して見せない。最後に自殺をする直前にだけ、彼女は鏡に向かって一瞬だけ微笑む。そうした演出の計画もシンプルだけれども力強いような気もする。ただシンプルというだけでもないとは思うけれど……。

 

 上映後のトークショーでは山内マリコという作家の方が、この作品を「暗黒結婚映画」というジャンルにカテゴライズしていた。『ブルーバレンタイン』『レボリューショナリー・ロード』『ゴーン・ガール』みたいな作品ジャンルのことだ。女性としては旦那の妻に対する理解のなさが許せなかったらしい。おもしろい視点だとも思うものの、この作品の語り手はあくまで妻を喪った男のほうであり、結婚の暗黒面を描くつもりってわけでもないような気もするが、ほかにこの作品をうまく説明する言葉が見つかったわけでもないのだが……。