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 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作品。
 女優ふたりの大胆なラブシーンが話題となった作品。レズビアンを扱ってはいるが、製作陣に同性愛者はいなかったらしく、本当のレズビアンが見ると奇妙なベッドシーンとなっているとのこと。とにかくふたりの絡みを執拗に見せつけるものだから、不快に感じる人もいるかもしれない。
 登場人物のエマが語る芸術論のなかでは、芸術は美を描くものであり、醜いと思うのは主観にすぎないみたいなことが語られている。その言葉をなぞるように、監督は絵画のようにベッドシーンを撮影したとのこと。それでもやっぱりあのベッドシーンは監督の主観による美にすぎないとも思う。
 アブデラティフ・ケシシュ監督は男性だし、どこか尻フェチのところがあるのか、お尻ばかりを狙っているように思える。美術館のシーンでは彫刻の尻を前景にしたカットばかりをつないでいるし、もっとも印象に残るシーンでは、エマ役のレア・セドゥの丸くて白磁のようなお尻を中心に据えて画面を構成している。それは悪くはないのだけれど、誰にでも受け入れやすい美ではないという気もした。
 ほかのシーンは長くても、アデル(アデル・エグザルコプロス)の表情やほかの人物との会話といった物語上の流れがあった。しかし、ベッドシーンにおいてはほとんど流れが止まり、表情の機微よりもふたりの絡み会う肢体ばかりが捉えられるため、エロさはあったとしても、読み取れる内容はごく限られていて、ちょっと長すぎる印象だった。
 ここまでベッドシーンについてばかり記したが、全体的にはレズビアン映画という印象ではなく、普遍的なものを扱っていて好感が持てた。

 映画の原題は「アデルの人生 第1章、第2章」で、アデルの17歳から25歳くらいまでの人生の序章とでも言うべき時期を、ゆっくりとしたテンポと極端なクローズアップで描いていく。飾らないアデルの姿にはまる人は、3時間の長丁場も楽しめると思う。しかし、はまれなかった人にとっては拷問かもしれない。ぼくはベッドシーンには感心しなかったけれど、アデルにはとても共感して、3時間も没入できた。ただのレズビアン映画ではない何かがあると思う。
 原作はフランスの漫画。映画とは違う結末になっているらしい。『blue』という女子高生を題材にした忘れがたい漫画を描いた魚喃キリコは、この映画について「ヤベぇ、すっげー染みる、痛いほどに、自分のことのように。」と語っている。絶賛と言ってもいいだろう。ぼくもそのコメントに激しく同意したい。