原作はジャック・ケルアックの書いた約50年前のもの。以降のアメリカ文化にも多大な影響を与えた作品として有名だ。
 監督はウォルター・サレス。出演はサム・ライリー、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワートなど。妊婦という役柄からかややぽっちゃりしたキルステン・ダンストや、尻を丸出しにしておいしいところを持っていったスティーヴ・ブシェミも登場する。

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 悪くはないとは思うのだが、やはり凡庸な映画ファンとしては、「やっぱり物語が好き」とも思うのだ。『オン・ザ・ロード』には、そんなものはない。ロードムービーには目的地があるのが普通だが、この映画にそれもない。「ここではないどこかへ」という旅人の心情からも遠い気がする。路上で生まれたディーンが求めるのは、どこかへ行き着くことではなく、ただただどこかへの途上にあり続けることにあるのだから。
 ウォルター・サレス監督の人気作『モーターサイクル・ダイアリーズ』においても、旅自体が目的とされているが、主人公はあのチェ・ゲバラであり、彼が革命を志すに至る精神的な旅という物語が軸にあった。『オン・ザ・ロード』にはそうしたわかりやすい物語はないのだ。
 『モーターサイクル・ダイアリーズ』にはマチュピチュやアマゾン河などの風景もあったが、ディーンが走り回るアメリカの風景にあまり変化はない。通り過ぎる町に違いはあったとしても、ディーンたちが求めるのはどこへ行ってもドラッグとセックス(まれに音楽)の狂乱に過ぎない。もちろんディーンはどんな場所にも素晴らしさを見いだす「聖なるマヌケ」という得がたい存在なのだが……。

 原作が影響力を持ったのは、描かれる題材の新しさもあったのだろうが、それよりも作家・古川日出男がチラシに記しているように「乱暴な詩情」というものがあったからじゃないだろうか? それがどこにあるかと言えば、原作の翻訳者・青山南が解説しているようにケルアックの鋭い語感、つまりはケルアックの文章そのものにあったはずだ。「やつこそ、ビートだ――ビーティフィクの根っこであり、魂だ」というように、beatという言葉にbeatificを結びつけるような語感のすごさだ。そうしたものがあればこその『オン・ザ・ロード』というわけで、コッポラ念願の映画化とはいえ、はじめから難しいプロジェクトだったのかもしれないとも思う。