批評家とかブログの感想も軒並み絶賛という印象の『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックスの13年ぶりの最新作なんて聞くと、観ないと悪いような気がして劇場に出かけたものの、センスとか教養が欠けているのかもしれないが正直さっぱりわからなかった。悔しいからDVDになったらもう一度観てみたいとは思うが……。
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 物語はほとんどなく、ドニ・ラヴァン演じるオスカーが何のためかは知らないが様々な人物に扮していく。その合間には白いリムジンで次に扮する人物のプロフィールを読み、次の舞台に備える。その繰り返し。監督カラックスのインタビューなどによれば、これは「自分自身でいることの疲労」と「新たに自分を作り出す必要という感情」という、相反する二つの感情を表現したものらしい。
 オスカーは最初ごく普通の家庭から現れて舞台までの輸送機関であるリムジンに乗り込むが、その日の最後には別の家庭(『マックス、モン・アムール』のようにチンパンジーがいる)に収まる。つまりオスカーにとっては戻るべき自分とか、本当の自分なんてものはないのだ。ここにはカラックスの相反する二つの感情が投影されているのだろう。常に自分以外の誰かを演じ続ける、その肉体だけが自分なのかもしれない。ドニ・ラヴァンの身体性はそうしたところを表現しているのだろう。
 ちなみに題名は音を立てて回るフィルムのモーターをイメージし、デジタル時代に突入した映画産業からそれを懐かしんで「聖なる(Holy)」ものとしているようなのだが……。

 様々なエピソードのなかではマンホールの怪人の部分は楽しませるし、インターミッションとして演奏されるアコーディオンの曲もカッコいい。最後のほうで突然しんみりとしたミュージカルになるが、ここのエピソードには引き込まれた。ここではオスカーの相手役をカイリー・ミノーグが演じていて、その昔「ロコモーション」でデビューしたころはMTVなどで見かけていたが、あの頃の印象とはうって変わって大人の歌声を聴けたのは拾い物だったかな。