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 ソフィア・コッポラの映画は基本的に自分語りになるのだそうだ(例外は原作がある『ヴァージン・スーサイズ』)。言われてみればたしかにそうで、歴史上の人物である『マリー・アントワネット』でさえもそうだった。映画界の巨匠フランシス・フォード・コッポラの娘として根っからのセレブであるソフィアは、フランス王妃にさえ自己を投影してしまうのだ。
 その点、この『ブリングリング』では監督ソフィアの立ち位置が微妙だった。物語はセレブに憧れる少女たち(ひとりだけ少年もいる)が、ネットで情報を得て易々とセレブ邸に忍び込み、金目のものを盗んでいくというもの。実際の被害者でもあるパリス・ヒルトン邸などで撮影された場面もあり、セレブたちの生活感覚も現実離れしているが、盗む側少女たちも少しぐらいはバレないだろうというあっけらかんとした感覚で常人には理解不能。ソフィアは本来被害者であるセレブ側に位置するわけだが、被害者側に寄り添うわけではない。ほとんど遊びのような窃盗団の行動を追ってはいても、少女たちに共感しているようでもないようだ。
 だから印象としてはどっちつかずな感じに終始している。結局、少女たちがセレブ邸に盗みに入る理由も、語り部的な少年とリーダーの少女との関係にも踏み込まないまま(映画ではよくわからないが少年はゲイらしい)。窃盗団の少女たちはその後それなりに有名になったりしたようだが、エマ・ワトソン演じるニッキーのトンチンカンな言明も、解釈の仕様もないまま投げ出されるように終わっている。監督のソフィアは少女たちの理解できない部分を理解できないままに提示しているものだから、観客のこちらとしても到底理解できないままだった。

 『ウォール・フラワー』に続いて『ブリングリング』でもエマ・ワトソンが踊る。健康的な『ウォール・フラワー』に比べ、『ブリングリング』はちょっと卑猥。使用される音楽は多分最新のヒップホップの類いなんだろうと思うが、全体的には予告編ほどノリがいい感じはない。