フランス産のタイムトラベルもの。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』以来タイムトラベルものは気になってしまうので劇場で観てきた。
主人公は結構なおばさんのカミーユ(ノエミ・ルボフスキー)。売れない役者として殺される役なんかをやったりしている。25年も連れ添った夫には若い愛人が出来て、離婚を切り出され酒を飲まずにはいられないという状態。パーティでも泥酔して気を失うとなぜか16歳のころに戻ってしまう。
この作品でおもしろいのは16歳のころに戻っても、観客はカミーユがそれまでのおばさんとしか見えないということ。しかし映画のなかの登場人物たちにはカミーユは16歳に見えているらしく、両親もおばさんのカミーユを16歳として扱う。おばさんが妙にフリフリのスカートとパンクなTシャツで登場することになるのがちょっとおかしい。
実はこの映画のカミーユの友達たちを演じる役者も結構な年齢だ(30代から40代というところ)。そんな役者たちが16歳を演じるのだけれど、そのなかに混じってもカミーユはより老けて見える。監督も務めるノエミ・ルボフスキーはそのなかでも一番年上なのは間違いないのだけれど、そんなおばさんが段々とかわいらしく見えてくるところに監督が自分を主演として映画化した意図があるのだろうと思う。とはいえやはり年齢が年齢だけに初々しさには欠けるところがあるのは否めないし、タイムトラベル映画としても新味があるわけでないのが惜しいところ(過去のなかに歳を食った登場人物が戻っていくというアイデアはベルイマンの名作『野いちご』にもある)。
よかったところもある。16歳のときにはまだ生きている母親は、その後すぐに脳卒中で死ぬことになるのだが、カミーユはそれを阻止しようともするが結局過去は変えることはできない。死ぬことがわかっていてもどうしようもないという場面はちょっと切ない。
ただこの映画では未来が変わる部分もある。そこで引用されているのが有名な「ニーバーの祈り」(カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』にも引用されていた)。変えることのできるものと、変えることのできないものがあるというのは真実だなあとしみじみ思わせる。その「ニーバーの祈り」をカミーユに授ける人物としてジャン=ピエール・レオが顔を出しているのは嬉しい。