原作は中田永一で、これは『夏と花火と私の死体』などの乙一が別名義で書いたものとのこと。監督は耶雲哉治。
タイトルロール=百瀬役の早見あかりは元アイドル(ももいろクローバー)だそうで、ポスターの横顔もフォトジェニックな彼女の魅力を示してあまりある。ぼくはこの映画に関してほとんど情報はなかったけれど、このポスターに惹かれてレンタルしてみた。
語り手の相原ノボル(向井理)は作家となり、講演会のために地元へと帰ってくる。そこで子供を連れた女性・神林(中村優子)と偶然出会い、かつての想い出話をすることになる。高校時代、相原は神林の彼氏である宮崎瞬(工藤阿須加)の浮気を隠すために、フェイクとして浮気相手の百瀬と付き合うフリをしていたのだった。
付き合うフリをすることになる百瀬と相原だが、相原は次第に百瀬を本当に好きになってしまう。ここでも『スイートプールサイド』ではないが、複雑な四角関係が構築されている。百瀬が好きなのは宮崎先輩で、宮崎先輩は神林と付き合っている。しかし宮崎が本当に好きなのは百瀬ということも明らかになる。
この四角関係では神林というお嬢様が、恋愛の対象からは外れている。それでも宮崎が神林と付き合うのは、彼女の家柄という打算があるからだ(神林自体は別に嫌な女の子というわけではない)。宮崎は親の失敗を自分で取り戻すほう(=社会的成功)を優先し、自らの恋心はあきらめるのだ。
『百瀬、こっちを向いて。』が、なぜ相原と神林の対話がきっかけとなって進んでいくのかと言えば、最後に神林が宮崎の嘘を知っていたかどうかが明らかになるからだ。もちろん、神林は宮崎の打算を知っていて、それでも好きだから結婚したのだ。
原作小説は女性に大人気だったらしい。その理由は、この神林の気持ちに女性が惹かれるからだろうか? 相手が自分を好いていてはくれなくても、自分が愛する人と一緒にいたい。そんな気持ちを女性は持っているのだろうか?
百瀬役の早見あかりは、見た目とは違う鼻づまりの声とサドっ気あるキャラクターは意外性があってよかった。ただ、百瀬と相原との別れの場面は、題名として使われるほどの決定的な場面とはならず、神林のエピソードに食われてしまったようにも思えた。最後のすれ違いの部分は、『第三の男』のアリダ・ヴァリをイメージしているのだろうが、あの名作映画に比するほどのインパクトはなかった気がする。